定時制高校 青春の短歌

県立神戸工業高校 南悟
還暦過ぎて学ぶ
時は過ぎ悔いが残りし無知な俺還暦過ぎて夜学に通う 豊永文一 (二◯◯九年)
六二歳の高校二年生豊永文一さんです。彼もまた働き続けてきた苦労の多い人生を詠んでいます。六◯歳の還暦を迎えた時に定時制高校に入学しました。
二◯◯八年の春、入学試験の面接試験の部屋に緊張気味の豊永さんがいました。私が面接官でした。「無知な私ですが勉強がしたいです。」「六◯歳の人生を重ねてこられた豊永さんを無知だとは思いませんよ」。少し緊張も和らぎ、私は豊永さんに、若い生徒たちの人生の励みになるので、ぜひ頑張って下さいと激励しました。「はい、がんばります」と笑顔で答えてくれました。
合格発表当日、豊永さんは奥さんと一緒でした。自分の番号を見つけて大喜びです。番号の前で撮影を頼まれた携帯写真の画面に笑顔が弾けていました。その時に分かったことですが、豊永さんは定時制高校受験のことを奥さんと子どもさんたちには内緒にしていたそうです。この日は合格発表が不安で、奥さんに行き先を告げずに同行してきてもらっていました。生まれて初めての高校受験、緊張と不安は大きかったことでしょう。
豊永さんのふるさとは、奄美大島の徳之島です。自然が豊かで、人情味あふれる南の島です。単身神戸で働くお父さんを頼って、お母さん豊永さんと弟妹二人の家族がやってきました。造船所の下請けで働くお父さんの収入だけでは生活が苦しく、長男の豊永さんは中学を卒業後、弟妹二人を高校に行かせる学費を稼ぐために働いてきたのです。
その頃は、中卒の労働力は「金のたまご」ともてはやされていました。お父さんに就いて造船所で大きなタンカーなどの船を作る仕事からはじめ、鉄鋼の組み立てや溶接が中心でした。仕事は誰にも負けないくらい頑張り、一九八八年には「奄美工業有限会社」を設立し、造船所の下請けの資格も取りました。
仕事の出来る豊永さんですが、ひとつだけ悩みがありました。数学が苦手なために、図面や材料の調達などの計算も他人に任せ、いつも恥ずかしい思いをしてきたそうです。ある日、何とかして分数の計算を身につけたいと考えて本屋さんに行きました。そこで出会ったのが、「ドラえもん算数おもしろ攻略」という漫画の本です。宝物でも手に入れた気分で、わくわくした気持ちになったそうです。
それからは、暇を見つけては分数の引き算、足し算、割り算を何度も繰り返し読み、例題に取り組みました。問題が解けるようになった時は、「やったあ!」と飛び上がったそうです。この本は計算式などの書き込みが一杯で、ページもよれてぼろぼろになるほど使い込んでいました。
この自信が、定時制高校への入学を後押ししました。教室ではいつも最前列に座り、体育の授業でも誰にも負けない動きを見せ、無遅刻•無欠席を続けています。
二◯◯九年一月の学校行事、「震災激励集会」の場で、豊永さんは思わず涙を流しました。豊永さんは、苦労の多いこれまでの人生を振り返っても、涙を流す経験はあまりありませんでした。
壇上に立つ一年上の先輩、電気科二年の西山由樹君が、震災で両親を亡くして後の辛い過酷な人生を前向きに生きようとする話に思わず落涙し、生きる勇気をもらいました。
西山君の歌です。
震災で止まった時間今日からは変えてみせるぞ名に恥じぬよう
豊永さんも、この時から自分の震災体験を振り返りました。最初は、家族にけが人もなく、何の被害も無かった自分が「心苦しかった」そうです。豊永さんは、神戸の町の復旧工事を最前線で支えてきました。壊滅状態の造船所の大型クレーンや水源地の復旧作業。神戸市民の憩いの場である海釣りができる遊歩道の護岸も海に落ちていました。地下鉄駅の陥没復旧作業では、余震に怯えながら天井を持ち上げるジャッキアップ作業に従事しました。振り返ると、危険な現場作業の連続でした。
私は、豊永さんに震災の体験を短歌に詠むように勧めました。何も辛い体験が無いと断られ続けましたが、西山君の前向きな姿にも励まされ、震災の復旧工事に関わり、神戸の町の復興に関われた自信と誇りを詠んでくれました。
震災で壊れた街に灯をともす俺の死に場所神戸と決めた 豊永文一
生きていくための短歌 (岩波ジュニア新書 642)
南悟(著) / 岩波書店 / 2009年11月21日
<内容>
昼間働き夜学ぶ、定時制高校の生徒たちが指折り数えて詠いあげた31文字。技巧も飾りもない、ありのままの思いがこめられている。働く充実感と辛さ、生きる喜びと悲しみ、そして自分の無力への嘆き。生き難い環境の中で、それでも生き続けようとする者たちの青春の短歌。
ニッカボッカの歌: 定時制高校の青春
南悟(著) / 解放出版社 / 2000年5月1日
<内容>
失敗や挫折や障害が癒され、人として生きる力が与えられる定時制高校の生徒たちの短歌、作文を紹介。NHKドキュメンタリー番組で放映。
定時制高校青春の歌 (岩波ブックレット NO.351)
南悟(著) / 岩波書店 / 1994年7月20日
<内容>
「大阪で道路舗装し夕映えの神戸の夜学に車を飛ばす」毎日、汗と油にまみれて働きながら、通学する夜間定時制高校の生徒たち。短歌に詠みこまれた喜び、悲しみ、悔しさ、そして恋─青春いっぱいの姿を教師が綴る。
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