石田僚子さん追悼に2024年ご協力下さった皆さまありがとうございます。
画像で、ご報告申し上げます。
前年、追悼後、校長に面談した折に時計の所に樹が被っていることを指摘しましたが、剪定されておりました。向こう側の門柱の所に毎年、何方かわかりませんが、朝早くから捧げられています。絵本『7月6日の朝』も中央に置きました。並木が成長し影をつくってくれています。
事件当時から中村羅針さんが赤いカーネーションを献花下さっていましたが、現在はスプレーカーネーションです。中村羅針さんには感謝を込め東京からお越し願いました。映画資料館では「生きる」のポスターとともに大川小学校風景「ここへおいでよ」金原寿浩画(水墨)展示しました。上映2回とも補助椅子を出すほどでした。子どもたちや若いお母さんたちが協力してくださり助かりました。休憩の時に兵庫県立神戸高塚高校の校長と副校長が参加され、会場の方々としばし会話の時がありました。
1回目上映後、寺田和弘監督のお話、2回目の上映後には、寺田監督、高橋智子さん、私が、質疑応答に応えました。その様子が神戸新聞に掲載されました。(2025年通信掲載)田中真治記者は、門前追悼にも個人で参加くださいました。このような記者が一人でも増えることを願っています。
カサブランカは石田僚子さんが亡くなった日に担任の先生が僚子さんの机に飾られた花です。
カンパ収入:26,000円 支出:献花20,000円 通信費:6,000円
本来でしたら2025年高塚門扉通信に同封すべきでしたが手が回りませんでした。お許しください。カサブランカの花は、とても立派なものでした。花屋さんも協力してくださり、予算5,000円、二つ、対になるように花束にしてくれました。
今年は、映画資料館すぐの花屋さんから映画館に直接運ばれます。
通信は送料110円に収まるように今回A4、1枚にまとめました。
2024年映画上映終了後、有志で近くの店で中村羅針さんコンサートを開きました。画像はその後の様子です。中央が寺田和弘さん、その隣が中村羅針さんです。高橋智子さんもこの写真を撮る少し前までいらっしゃいました。
石田僚子さんの追悼を34年続けて来てみえてきたものがあります。①教育を受けようとして、殺されたこと。②当時、本来だったら2校、開校されるべきだったのに1校しか建てられなかった。③電車は3分遅れて到着した。
通信にも何度も書いて来ましたが、教育は受ける権利です。それを閉ざすとは。寺田和弘さんも証言されている通り当時は、身の危険を感じるような校門指導、門扉でした。学生は、収容人数の倍、当時の消防署も火事が起こっても助けられない人数と言われていたそうです。西神中央駅から学校まで歩道は学生で溢れて、通学そのものも危険を感じるような状態でした。そのことは、門前追悼に間に合うように急いだ経験からも感じました。門前追悼の時にもあふれた学生が道路に飛び出しはしないかと危ぶまれたほどです。事件当時は、マスコミの規制も無く、石田僚子さんの弟さん(当時中学生)は、通学途中に取材を受けたり、家族も誹謗中傷を受けたりして、西区の新しいベットタウンへ引っ越して来られたばかりだったのに身を隠すように引っ越しされました。石田僚子さんは、とても真面目な学生だったにも関わらず、あたかも不良だったかのような報道をされました。1か月前まで母校だった中学校も教師も何方も証言されませんでした。私たちは二重にも三重にも彼女を殺したことになります。このことは、世界的に観ても何十年たっても問い続けなければならないと考えます。
事件の起こった1990年頃は、全国で厳しい校則、罰則が猛威を振るっていました。神戸市立中学校の丸刈り強制も然り。人権侵害という意識さえない時代でした。その中で、髪の毛を切ったり、スカートを切ったり、下着検査までしていました。第二ベビーブームで子どもたちが多く、更衣室も無く外で着替えさせたり、男女同じ教室で着替えさせたり、入学説明会でわざわざその着替え方の説明まであるという異常な状態でした。今、報じられたらどのようなことになるでしょうか。今年は戦後80年ということで、戦争当時のことや戦争に行った人たちのトラウマ、またその家族のトラウマ被害が報じられています。第二ベビーブームと言われた時代、戦争の影響は無かったでしょうか?戦争の連鎖は無かったでしょうか?石田僚子さんが殺されたことに関して、未だに事故として扱われています。私の中では「圧殺事件」です。
最後の画像は、中村羅針さんの演奏が開かれた「クレープ屋」さんの中の様子です。皆が美味しいごはんやおかずをお腹いっぱい食べた後、クレープを待っている時です。和気藹々と近くの人と語らっています。クレープを焼いているのは、店のオーナーです。普段の日は、軽トラックの周り中、プレートを貼って太陽光で運転し、神戸市役所辺りで営業を続けています。今年は梅雨も早く開けて晴天続きで大丈夫かも知れません。
猛暑、酷暑の続く毎日ですが、くれぐれもお身体を大切にお過ごしください。それぞれ35年も続けてくると体力も無く大変ですが、命の続く限り門前追悼だけは続け、問い続けたいと思っています。文責:所薫子 2025.7.02







