パンドラの箱からでた「苦しみ」の後に登場するものは?

ちびくろ保育園園長 田中英雄
高塚高校の門扉で圧殺された女子高校生の痛々しい事件から受けるイメージは単に兵庫県教育界の問題でなく、日本教育思想全体の問題ではないかと思う。何故生徒たちを点数で序列するのか?なぜ一人ひとりの興味関心に沿った教育をしてこなかったのか?今、何故、漸くアクティブ•ラーニングに力を入れるのか?しかしそれさえも単に今までの日本の一斉教育では多様化した国際化のもとでは日本が勝ち残れない反省からの方向転換としたら問題の根は同じことだろう。
根本的問題は時代を覆う物質主義ではなかろうか。人間が心魂を有した存在であるにも関わらず、それらを忘れあるいは否定する時代の流れのなかで、不安を抱えた人間が利益や有用性に走り、経済成長主義の罠に陥る。そして見かけの学力で人間を評価する流れから足を洗うことが求められている。
現代人が作り出した科学技術によって自分の首をしめている。40年も使い続けてきた危険な老朽原発の再稼働をするなど自殺行為であるにも関わらず止められない。地球温暖化を承知しながらエネルギーを未だに浪費している。コロナウイルスで多くの死者が続出している。早く収束して欲しいと願う。しかし、一方でコロナウイルスは人類の歩みに警告を出していると思われる。地球温暖化が加速しているにも関わらず航空機は空に二酸化炭素をばら撒いている。このような状況に16歳のグレンタさんは世界中の大人にこのままでは「悲惨な未来が待っている」と訴えている。
コロナウイルスが人間を苦しめているというのをどう考えれば良いのだろう。保育園は厳重な消毒や感染防止をしながらでも医療や介護従事者や学童保育従事者が子どもを預けて働けるようにする一つの砦である。非常事態宣言を受けて神戸市は「特別保育申し出書」に職場等の記載したものの提出を保護者に求めてきた。しかし、だからと言って職場そのものが閉鎖される状況では子どもを家庭で見るのも限界がある。狭い住宅で子どもが暴れれば階下の家から苦情の電話がかかってくる。だから保護者の主体的判断で登園は認められてよいはずである。介護施設で働く母親が「職員を確保できず施設がしばらく休所となるらしい。保育園が子どもを預かってくれないとか?」理解できない認識で保育者に強制的に登園を止めさせているとしたら大問題である。
予想できない事態が起こり苦しみが様々に広がっている。久しぶりにギリシャ神話集が手元に届きあの有名な「パンドラの箱」を読んだ。
なんと「苦しみ」があけてはならない箱から飛び出す情景しか頭になかったのだ。「苦しみ」が飛び出したあと急いで締められた箱の中から「小さな生き物」の優しそうな声がして「もしもし、開けてください、パンドラさん」と聞こえてくる。一緒に居たエピメテウスが慌てて止めようとしたが意を決して重いふたを開けると小さな小さな可愛い女神が立っていて「私は<希望>です。世界に撒き散らされた<苦しみ>がいたずらをして歩いたあとを活かすために、私はやってきたのです。」と言って箱から出て「世界中を飛び回り、<苦しみ>が撒いた不幸を消して歩きました。」(石井桃子編•訳、のら書店)とある。
苦しみが拡大しているこの時「希望」の小さな女神の登場に心に光が差してくる。神話は単なる作り話ではない。古代から人類が何度となく経験したことの中から語り伝えられたものである。「苦しみ」が世界に充満し始めている現在小さな希望を信じささやかであって始めようと思う。
2020年4月16日
ギリシア神話
石井桃子(編集, 翻訳), 富山妙子(イラスト) / のら書店 / 2000年11月30日
<内容>
プロメテウスの火、パンドラ、ヘラクレスの十二のぼうけん、ダイダロスとイカロス…。数多い神話の中でもすぐれて力強く、豊かな魅力にあふれたギリシア神話を、格調高い訳文と絵で紹介。
Sponsored Link






