石田僚子さん追悼30周年記念文集

「日本人として…」

神戸映画サークル前委員長 塩見正道

 今年のアカデミー賞で2度目のオスカーを手にしたカズ•ヒロ氏のインタビューが面白かった。氏は記者からの「日本人として…」という質問に、その考え方がイヤで昨年アメリカ市民になったので、日本人じゃない。ソーリーと答えた。つまり、個人なのだという主張である。
 このことで思い出したことがある。どの本であったか忘れたが、加藤周一氏が日本人は「日本人とは何か」という問いを好むが、そんな民族は日本人だけだと書かれていた。私は、それは私達自身のアイデンティティ意識の不確かさの反映だろうと考えている。その自信のなさが、「日本」を可視化しておきたいという強迫観念を生み、「型」を強制するのだろう。「型」に従わない者を排除する社会的圧力はますます強まっているように思う。
 高塚高校の事件も、その強迫観念が生み出した「管理」という思想が全教師を呪縛していたことから起きたのではないだろうか。そもそも子どもを管理の対象とすることは、教育という、なにより子どもたちの自発性を育むことにある営みには馴染まない行為であるが、私たちはよほど自分たちに自信がないのだろう。放っておけば悪いことしかしないと考えているのだ。そのくせ、日本人ほど賢い民族はないという「神話」を好む。
 さて、カズ•ヒロ氏は日本国籍から離脱したが、私はそうもいかないし、それより日本がすべての個人を尊重する社会になってほしいと願っている。自らができることを絶えず自問し、行動していきたいと思う。
 この大切な通信に拙稿を連載させてくださった所さんをはじめスタッフのみなさんと、読んでくださった会員のみなさんにこころから御礼申し上げます。

Sponsored Link

続きを読む

Sponsored Link

Back to top button
テキストのコピーはできません。