保育•教育

電気工事士の資格取得をめざして

県立神戸工業高校 電気科2年 西山由樹

 私は、今から13年前の1995年1月17日に起きた阪神大震災で両親を亡くしました。私が8歳で小学校3年生の時です。文化住宅の1階で寝ていた両親は全壊した建物の下敷きになって、近所の人たちが助けようとしましたが、ガレキの山が大きくて助けられず、数日後に自衛隊が遺体を収容したそうです。
 僕と弟は2階で寝ていたので助かりました。ガレキの中から外に出された時、なぜか1階に置いて有った僕の黒いランドセルが、前の道路に投げ出されているのが目につき、その光景が今でも頭から離れません。今になって思うと、亡くなった両親が、僕に勉強はするんやでと語ってくれているように思えます。
 助けられて、すぐに避難所に行きそこからすぐに親戚に預けられました。両親とは、どこか思い出せないけれど、お寺の葬式でお棺の中の顔を見たのが最後のお別れでした。お父さんは39歳、お母さんは31歳でした。
 それからは、3軒の親戚の家を移り変わり、僕と弟の苦労が始まりました。どこでも辛い生活でした。どこに行っても両親がいるという、当たり前の生活が送れず、親戚の家族のルールの中で生きることの難しさで、親に甘えることも、子供らしい素直な気持ちも持てずに過ごしました。周りの人の顔色ばかりを気にするような生活で、正直言って、人間が大嫌いな偏屈な人間になっていきました。あまりのつらさに、何で僕らを残して死んだんやと、両親を恨んだこともありました。ある日、「火垂の墓」の映画を観て、清太と節子が親戚のおばさんの家で苦労しているのを見た時、同じ苦労やなあ、と思いながら、僕は清太や節子のようには素直には生きられないなあ、と思いました。
 震災で祖父と祖母の家も全壊して、大工の仕事も無くなりました。震災後の生活再建がどれほど大変だったのか、今なら理解できます。けれども、子供の僕には、そんな苦労は理解できず、何かと周りのみんなに当たり散らしていました。
 私の高校進学の時には、長男の私には、私学に行かせる金はない、生活の方が大変なんや、と僕ら兄弟の後見人である祖父と祖母のはき捨てるように言った言葉が耳から離れません。
 私は、その頃から、ますます聞き分けのない、周りの親戚を困らせる中学生になっていきました。その時から、悪い友達とつるんだり、夜中に仲間とバイクで暴走行為をして遊んでばかりいました。すると、そっちの方が楽しくて、中学の3学期はほとんど学校には行かず卒業式にも出ませんでした。
 いやいや行った西宮の普通科の定時制高校も、すぐに辞めてしまいました。そのころは、祖父の大工仕事も再開され、家も再建できていましたが、生活費は自分で稼がないといけないので、仕事は屋根の葺き替えの会社に行きました。
 何事にもぎこちない私を見かねたのか、一番年上のおじいさんが、私に仕事を教えてやろう、なんでも聞きにきなさい、と言ってくれたので、次の日から、毎朝、朝7時半集合のところを1時間早い6時半に会社に行き、仕事の段取りをしたり、板金の折り方を習ったりしました。しんどいけれど、充実感があったので、1年半続けましたが、会社は倒産しました。
 高校卒業の必要性を感じて、神戸工業高校の電気科に成人特例で受験することを決めました。
 入って見ると、先生方は、私が予想していたよりは、ずっとていねいに理解出来るように勉強を教えて下さり、勉強の苦手な私でもなんとか付いていけています。クラスの年齢も、みんな私よりも若い年下だけど、みんななかなか勤勉で、正直いってびっくりしました。
 クラスの人から教わることもたくさん有り、難しい電気工事士の学科は、担任の先生が、一生懸命教えて下さり、私にもやる気が出てくるようになりました。
ちょっと恥ずかしいですが、この作文を書くのも、勉強の勉の字を間違ったり、工事士の士を仕事の仕と書いたりして直されています。

 そんな私ですが、粘り強い先生のお陰で、この夏の二種電気工事士の学科試験は合格することが出来ました。残念ながら、実技試験の方が、仕事が昼勤務から夜勤に変わったりして生活ペースが乱れ、やる気が失われたりして、不合格になりました。けれども、来年は実技だけなので、ぜひ合格を目指して頑張ります。
 偏屈で気分屋の私ですが、毎日仕事をして学校に行くと、だんだん辛抱することが出来る人間になっていると思います。入学した頃は、カッとなって暴力事件を起こしたりして、先生や相手の人や周りの人に、たくさんの迷惑をかけてきました。そんな私に、神戸工業高校の先生やクラスのみんなも辛抱強く付き合ってくれました。
 今は、大学に進学した弟の金銭面を助けながら、迷惑をかけてきた、祖父、祖母、叔父さんとも仲良く接することが出来るようになっています。昔のように悪い事をするんじゃない、と自問自答しながら、真面目に人生を考え、神戸工業高校を卒業するために、これからもこりずに学校に通います。

(この原稿は南悟様より学生のご承諾も得て、ここに掲載させていただきました。)


生きていくための短歌 (岩波ジュニア新書 642)生きていくための短歌 (岩波ジュニア新書 642)

南悟(著) / 岩波書店 / 2009年11月21日
<内容>
昼間働き夜学ぶ、定時制高校の生徒たちが指折り数えて詠いあげた31文字。技巧も飾りもない、ありのままの思いがこめられている。働く充実感と辛さ、生きる喜びと悲しみ、そして自分の無力への嘆き。生き難い環境の中で、それでも生き続けようとする者たちの青春の短歌。


ニッカボッカの歌: 定時制高校の青春ニッカボッカの歌: 定時制高校の青春

南悟(著) / 解放出版社 / 2000年5月1日
<内容>
失敗や挫折や障害が癒され、人として生きる力が与えられる定時制高校の生徒たちの短歌、作文を紹介。NHKドキュメンタリー番組で放映。


定時制高校青春の歌 (岩波ブックレット NO.351)定時制高校青春の歌 (岩波ブックレット NO.351)

南悟(著) / 岩波書店 / 1994年7月20日
<内容>
「大阪で道路舗装し夕映えの神戸の夜学に車を飛ばす」毎日、汗と油にまみれて働きながら、通学する夜間定時制高校の生徒たち。短歌に詠みこまれた喜び、悲しみ、悔しさ、そして恋─青春いっぱいの姿を教師が綴る。



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