オーストラリアから② ヴィザの壁

堀蓮慈
外国に長期住むようになってから初めてヴィザという制度の問題に気づいた。あれは結局、国家が人間を選別するための道具で、貧富の差をせき止める機能を果たしてるのや。どこの国でも外国人が観光に来てお金を使うのは歓迎するが、観光ヴィザでは就労できんようになってる。それでも多くの貧しい国の人々は「不法就労」する。
日本人がオーストラリアで働いて長期滞在する道はいくつかあるが、30才までならワーキングホリデーが便利。それで1~2年すごした後、学生ヴィザに切りかえる人が多い。学生は週20時間までなら働けるが、ちゃんと学校に行ってないと強制送還される危険がある。こちらで必要とされる技術(会計士とかコックとか)を身につけていれば、永住権申請できるが、一定の英語力が必要で、さらに年令と共に条件が厳しくなる。普通は年令差別は禁止されてるはずやが、国家がやる分にはかまわんらしい。
で、自力でヴィザが取れん場合、どこかの会社からビジネスヴィザを申請してもらう手があるが、それは会社が必要とする人材やなかったらアカンし、その会社をやめたらヴィザも取り消しになる。かくて最後の手段は、こっちの永住権を持ってる人間との結婚。実はぼくの周辺には、それで永住権を取ろうとしている日本人女性がようけおる。男はほとんどおらんのが残念?なんやが。海外での日本人の女と男に対する評価に、天地の差があるのは事実のようや。
日本人の場合、こっちに来たって生活水準は劇的な変化があるわけやない。家が広いとか老後の年金がしっかりしてるとかいうことはあるけど、こっちに住みたい最大の理由は、経済以上に精神的なもんやないやろか。ぼく自身のことを考えても、「仏教を広める」いう目的はもちろんあるんやが、「なんでオーストラリアか?」とたずねられたら「とにかく気楽やから」いうんが正直な答えやろな。いろんな意味で。
若者の場合、日本社会の閉塞感─先が行きづまっている感じ─はとてもうっとうしく感じられると思う。見通しは暗いのに、変化の兆しも見えへん。しかもほとんどの人間が、教育の「成果」として無力感を抱えこんでる。オーストラリアの「若さ」に比べ、日本は老いたる国や、言葉の壁やヴィザの壁を乗りこえて海外に住もう、というような覇気のある若者にとっては住みたい国やないやろな。マザコンならぬ「母国コン」やない限り。
逆に、日本に来る外国人で、そういう覇気をエネルギーを持ってるわけやから、彼らこそ日本社会を活性化できる、とぼくは信じてる。日本は外国からの移民に対してきわめて閉鎖的やが、外から新しい血を入れへん集団がダメになるのは目に見えてる。ほとんどの日本人はヴィザのことなんか何も考えずに暮らしてると思うが、既得権を守るためによそ者を入れへん、いう姿勢自体、世界平和のジャマになってると思うな。
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