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1988年(昭和63年)12月21日、富山市立奥田中学校の女子生徒(中学1年生•13歳)は、複数の同級生からの暴行などを苦にして、ビル4階のベランダから飛び降り自死した。
「クラス中からさけられ、悪口を言われた。もう生きていく自信がない」と書いた遺書と、いじめを受けたとみられる複数の女子学生の名前を書いたメモが見つかった。女子生徒は怪我で体育の授業見学中に、教師と一緒に草むしりをしながら、「先生、私の体って臭い?」と聞き、クラスのみんなから臭いと言われていると告白した。(女子生徒の死後、初めて両親は聞かされた)後に「事故報告書」で生前、女子生徒が何度も担任の男性教師に証拠の品を持って、いじめられていることを訴えていたことが判明した。しかし、根本的な対応は取られず、いじめは沈静化しなかった。担任はこのことを女子生徒の保護者に連絡せず、事件の後も語られることはなかった。また、いじめがはっきりしていたのに、職員会議で議題として話し合われた形跡もない。
女子生徒の遺族は、「学校でのいじめはいじめられた子供から『学習する権利』を奪うものであり、そうであれば子供の『学習する権利』の充足をはかるべき義務を負う社会一般、そして学校は、いじめ防止、克服の努力を惜しんではならない。」として提訴したが、2004年に最高裁で棄却された。
事件の経緯
女子生徒は先天性免疫性不全症(IgA欠損症)で病弱だった。
1988年6月 女子生徒が廊下を歩いていた時、上級生が突然足を出して両手首を捻挫した。学生名簿で名前を調べて担任にも伝えたが、同生徒からの謝罪なし。
6月27日 スポーツフェスティバルの開会式で、女子生徒は後ろから走ってきた男子にぶつかられて鎖骨を骨折した。学校は相手不明と回答した。骨折治療のために貼った湿布薬で「臭い」と言われるようになった。
3人の女子生徒が女子生徒を見ながらヒソヒソ話を交わしてメモをゴミ箱に捨てた。メモには、「◯◯(女子生徒の苗字)死ぬことにさんせい、◯◯(女子生徒の苗字)殺すことにさんせい」と書いてあった。
11月 親しかった友人たちを遠ざけられ、一人で登校するようになっていた。
自死する2~3日前、親しかった友人が、自分のスカートの裾をつまみあげ、女子生徒の机のそばを「きたない」と避けるように走り去った。そのことを聞かされた母親は、「もうすぐ懇談会だから先生に相談しようね」「友だちなんだから、早く仲直りしなさいよ」と励ましていた。
自死する1月ほど前から、朝の目覚めが悪くなっていた。 また、古いアルバムを取り出し、食い入るように見つめたりしていた。
遺書•他
「ねえ、この気持ちわかる?組中からさけられてさ、悪口いわれてさ、あなただったら生きて行ける?私、もう、その自信ない。
せっかく育ててくれたお母さん、お父さんには悪いけどさ。◯恵、ありがと。お母さん、お父さん、ありがとう。本当にありがとう。
でもみんなは、たかが「いじめくらいで……」ていうのもいるよ。けど、私のはそんなにあまくない。
ありがとう。私にやさしくしてくれたみんな。ここまで育ててくれたお母さん、お父さん。
私は、この世が大きらい だったよ。
私はあなたたちをゆるさない。
1年3組Aさん、Bさん、Cさん、Dさん、Eさん、Fさん、
もう、だれも、いじめないで……。」
と遺書にあった。(注:◯恵というのは、小学校卒業目前に転校した友人の名前)
「水の流れる方へ行け そのまままっすぐ玄関へ
赤いくつをはき、玄関を出て、まっすぐすすめ
やがて死がまっている」
という詩が遺書と一緒に置かれていた。
後に、「絶対に捨てないで」と書かれた紙袋から、便箋6枚に書かれた手紙が見つかる。何度も書いては消した跡があり、字も乱れていた。
「ヘーンだ、ざまーみろ。どーせ、牛乳パックの後に何か書くと思ってわざと49の牛乳をのんだら“当り”って書いてあって、そのかわり○○さんののんだ牛乳パックのうらには多分何かべつのことがかいてあったと思うな。
あいつらぶっころしてやりてー。なんだよ、○○なんて入学しきに休んだくせに。はしかでやすんだ、バーカ、○○は○○で、○○なんかと仲よしになりやがって。私と○○さんの友だち、○○、○○さんまでとりやがって、バカヤロー
あいつら人間じゃねーよ。ぜったい外見だけは人間、なかみは、冷たい心のもち主としかいえないよ。
どうして私にいじわるするの。わけをはなしてほしい。
やめてよ、バカヤロー
てめーらなんかしんじまえ。のろってやる。さんざん人を調子よくつかいやがって、なんだよ○○たちなんか、他の人はやさしくしてくれるのに、あいつらだけは別なんだよ。てめーらに何かやらかしたかよ。てめーらがわるいんだろ。どーなんだよ。○○は、○○でも、1-1のは、すごくやさしくてしっかりして。1-3の○○なんかいなくなればいいんだ。しね。2Pかいても気がすまねーよ。気がすむまでかきつづけてやる。てめーらなんかのろい殺してやりて。あいつらのいじめ方を全ぶかきだしてやる。
その1、私が近づくと私から遠ざかる。
その2、それも、ないしょ話をしながら。
その3、牛乳パックのうらに「大きょう」などをかく。
ぜんぶひきょうだよ。
そのうちに先公にいいつけてやる。てめーらなんか人間のくずだ。しんじまえ。人間じゃねえよ。あんなやつなんか生きなくてもいい。しんじまえ、いきてなくていい、しんじまえー。さいてーーのてめーら本当にしんじまえ。
本当に、はらがたつ。
さーて明日、あさってくらいは先こうのかみなりがてめーらにおちるぞ、たのしみだわー。
てめーらはさいていだ。それともいまのうちに私にどげざでもしてあやまるか、そーじゃなきゃせんこうにいいつけてやる。てめーらがわるいんだからな。どうおこられたってしらねーぞ。てめーらは、二人で一人をいじめるひきょうものだ。てめーらはどうせ小学生のとき、だれか他のヤツにいじめられたんだろ。そして、そのときのくやしさを私にぶつけよう、てわけか?そんなわけにはいかないぜ。てめーらが先こうをきらっていることも全部いってやる。先公の前ではぶりっこ。
先公がいなけりゃいじめってわけ?ばかじゃない?クラス全体で1人のこをいじめて、よくわらっていられるよな。いじめられた方の気持ち、考えてみなよ。そんなことを考えたらさ、いじめはおこらねーよ。たまんないよ、てめーらはなにをかんがえてんのかしらないけどよ、おめーらのようなやつはさいていだ。さいていの女。
今日も牛乳パックのうらに「ハズレ」だって。それも○○さんの牛にゅうまで、かわいそうじゃないか。こんどやったらみんないいふらしてやる。先生にもいいつけてやる。この文章をかいていると気がすっきりするよ。
何だよ、○○たちなんておれの友だちまでとっていきやがって。
それでもおれはがんばるぜ。そんな、すぐにくたばるかよ、ばーか」
絶交状
死後、登校拒否を繰り返し、女子生徒が励ましていた友人からの千切られた絶交状を発見。
「ひろこへ
ひろこには悪いけどむしさせてもらうよ。だってひろことつきあっていると、みんなさけていくんだもん。でもこの話は本当。○○もひろこのこときらっているよ。うそつき、性格悪るい、それにきもち悪いって。3組全員そういってたよ。○○さんもどうしてむしするかわかったでしょう。そ、性かくでむししてるんだよ。
私も、ひろことつきあってたときも3組のひとみんないやだぁーっ、しってるでしょう。だからだよ。私は自分では悪いと思はない。ひろこが悪いと思う。はっきり言うけど!!
今になったら3組の人 私にはなしかけてくる。○○さんも。男子も女子も、とくに話かけてくるのは○○だけどさ。ひろこなんてきらいってさ。くさい、さわるな、うそつき、○○もいってたよ。みんなで『むし』しようぜ。女子の人に好きな人みんなにいいふらしたぜ。ひろこのためにとおもっちゃってなんてね。
大きらい 大きらい 大きらい 大きらい
「フン」 「フン」 「フン」
○○、○○、の前でブリッコなんかするな。なれなれしく○○ってよぶな。きもちわりい。きもちわりい。ブリッコちゃん、バカ」
作文
自死の1週間ほど前の「生い立ちの記」という作文の中で、女子生徒は、「私は今まで大切に育てられてきて、この自分の命は、自分からすててしまわず、一日一日を大切に生きていこうと思いました」と書いていた。
教師の対応
怪我で体育の授業見学中に、教師といっしょに草むしりをしながら、女子生徒は「先生、私の体って臭い?」と聞き、クラスのみんなから臭いと言われていると告白した。(女子生徒の死後、初めて両親は聞かされた)
後に「事故報告書」で生前、女子生徒が何度も担任の男性教師に、証拠の品を持って、いじめられていることを訴えていたことが判明した。しかし、根本的な対応はとられず、いじめは沈静化しなかった。担任はこのことを女子生徒の保護者に連絡せず、事件の後も語られることはなかった。また、いじめがはっきりしていたのに、職員会議で議題として話し合われた形跡もない。
学校•他の対応
「遺書と思われる書状より、自殺の原因はいじめとみられる」と警察が発表した。
「今は他の生徒を動揺させたくない」という学校側の教育的配慮を酌み、遺族はひたすら待ち続けたが、学校からはなんの報告もない。四十九日までは担任と校長が弔問に訪れたが、以後途絶える。
教育長
K教育長は、「◯◯(女子生徒の名前)さんというのは友達が少のうございました。 ほとんどないといってもいいくらいだったんですね。得意な科目は英語だったはずです。多少体育が不得意ということは、動作ものろかったかもしれませんね」と発言。また、裁判の中で、教育長は「当時としては(担任の先生は)一生懸命にやっておいでだったということでいいんじゃないか」と言っていたとの証言あり。(原告は一審で教育長の証人採用を強く求めるが不採用)
加害者
遺書に名前のあった同じクラスの女子生徒6人から謝罪なし。担任と校長にその旨を告げるが、「知っているはずです」と他人ごとのような対応。その後、担任から「いじめていた子どもたちが、2,3人固まって死のうかと相談していた」と言われ、追求しないことにする。
学校は加害者の親に、ことの重大さを知らせていなかった。
遺族が裁判の準備を始めたことを知って初めて、5人の親が訪ねてくるが、父親が名も告げずに上がり込んで経を唱えたり、別の母親が「うちの子がまた遊びにくると思いますのでよろしくお願いします」と言ったりで、はっきりした謝罪の言葉はない。夫婦で訪れたのは一組のみで、誰一人、子どもは連れてはこない。
残りの1人は、「いじめたという証拠でもあるんですか?あるなら見せてもらいましょう」と居直り、最後まで「うちは関係ない」としてわが子がいじめたことを認めない。
誹謗•中傷
自死後3ヶ月くらい続けて12時過ぎに無言電話。その後も半年間くらい続く。
PTAの父親から「うちの子が今度の事件で、こんなに動揺を与えられて、それで志望校を滑ったらどうするんだ!」と罵倒される。「奥田中学校の名前に泥をぬってくれた。おまえたちのような不名誉なやつは出て行け」「あんたとこの子どもが自殺したおかげでうちの子どもも登校拒否になった」と言われる。
情報公開請求をしてから再び無言電話がかかる。
その他の被害者
その後も同級生がいじめられ、「今度は私が◯◯(女子生徒の名字)さんの代わりにいじめられている」と言う。
同じクラスに、着ている白いシャツの背中に鉛筆やボールペンで落書きされた生徒がいた。母親が「いじめられてるのではないか」と問いつめたが強く否定。やがて登校拒否になった。
学校が事実をはっきりさせないまま、遺書のことを新聞で知った大人たちが、関係のない生徒に「お前が犯人だろう」と中傷の言葉を浴びせ、家に引きこもるようになってしまった。無言電話もかかるが、学校は何の手も打たない。
事件の背景
1988年当時、生徒数1336人のマンモス校だった。富山県は他県に比べて、受験競争もかなり激しく、奥田中学校は「有名受験校」だった。クラス別の成績競争も行われていた。
登校拒否児童の発生率も全国でトップクラスだった。
校則が厳しいことでも有名だった。(髪の毛の長さ、スカートの長さ、雨傘の色、ソックスの色と柄、教科書は学校に忘れて帰ったら没収で返却されない、など。1987年5月修学旅行に持参した色柄もののパンツをすべて没収)
反面、学校は荒れていた。
1981年5月 男子生徒(中3)数人が、「学生服を汚した」として教師4人に怪我を負わせる。
1984年 女子生徒の間で集団リンチ事件があり、警察が介入した。
1984年 同中は「生徒指導モデル校区指定」になる。
1989年 サッカー部の男子生徒(中3)が2年生を空き家に連れ込んで暴力を振るう事件があった。
作文
12月22日 自死の翌日、学校側がクラスメイトに追悼文を書かせる。
遺族が、「◯◯(女子生徒の苗字)さんへの別れの手紙」として書かれた「作文」を見せてほしいと再三頼むが、「(いじめた)子どもたちにも将来があり、いまお見せすると影響がありますので」と校長に断られる。一方でその一部を新聞社に公開、写真撮影させている。
1994年5月2日 7回忌に追悼文を仏前に供えたいと思った遺族が、公文書公開条例に基づいて「作文」を請求するが、事件後約3ヶ月後に担任教師が焼却処分にしており、「不存在」と回答した。
K教育長は、地元ラジオ局放送記者から作文について「名前を消してでも作文を見せてやれなかったのか」と問われ、「そんなことをしたら教師として失格」と発言。その後も、「追悼文は公文書にあたらず、非はない」として作文を焼却したことは妥当な判断との姿勢を崩さず。
調査
情報公開制度を使って、「事故報告書」「作文」「学校長の所見」「生徒に行った指導内容」「職員会議禄」「調査報告書」を請求するが、黒塗りで判読文字数わずか1%の「指導内容」以外は、「非公開」もしくは「不存在」と通告。
事故報告書
公文書公開条例で請求した「事故報告書」をあらためて個人情報保護条例で申請した結果、前者で拒絶された部分が後者で開示された部分もあった。
報告書は、ごく短時間で作成され、情報量がきわめて少なく、不正確なものだった。
しかし、この報告書の内容から、女子生徒が何度も、証拠の品まで持って、いじめられていることを担任教師に訴えていたことが判明した。
対して、担任の指導は、「いじめられたらすぐ知らせる」ように女子生徒に言ったり、クラス全体に悪口を書いたメモのことを、遊びでやっても書かれた人が見たら心を痛めるということを話したり、いじめていた女子生徒に対して、「仲良くするよう」「いじめをやめるよう」に話したり、「一人ぼっちの本人のために仲良くしてくれるようお願いする」にとどまっていた。
民事損害賠償請求訴訟
提訴
1996年10月30日 女子生徒が亡くなって8年後、同級生らの大学受験が終わったのを見計らって、両親が奥田中学校を維持管理していた富山市を相手に約2000万円の損害賠償を求めて提訴した。
訴状より•はじめに
「学校でのいじめはいじめられた子供から『学習する権利』を奪うものであり、そうであれば子供の『学習する権利』の充足をはかるべき義務を負う社会一般、そして学校は、いじめ防止、克服の努力を惜しんではならない。」として提訴した。
- 学校が適切ないじめ防止対策と対応を怠った安全保持義務不履行を理由とする損害賠償請求。
- いじめの実態と学校側の対処を両親に報告しない(いじめ自殺後の)調査報告義務不履行を理由とする損害賠償請求。
裁判で学校側は、法的な報告義務の存在は否定し、教育的配慮で報告したと主張した。
また、「いじめが自殺の主要な原因ではない」と主張した。
証言
裁判の中で判明したこと。
- 担任は女子生徒に対するいじめを認識していながら、保護者との連携を怠り、全校的な課題として取り上げず、一人で問題を抱え込んでしまった。
- 当時、文部省からの緊急アピールが出されるなど、いじめが大きな社会問題になっていたのにも拘らず、学校側はいじめ問題についての研修等は全く行っておらず、事件後も女子生徒の死を教訓とするためのケーススタディ等は一切なされていなかった。
- 教育委員会は、こうした学校の対応を是認し、極めて杜撰な事故報告書の提出で良しとしていた。
担任は、女子生徒からいじめの相談を受けていたが、現場を押さえてから指導しようと思っていたと証言。女子生徒に関する職員会議が1度も開かれなかったことを証言した。
校長は、弔辞の資料にするためにクラスメイトに作文を書かせたと証言した。
一審判決(富山地裁)
2001年9月5日 徳永幸蔵裁判長は、「市の安全保持義務、調査•報告義務違反があったとは言えない」として、原告の訴えを棄却した。
判決要旨
判決では、遺書の内容や担任が認識していたいじめの状況から、いじめが自死の主要な原因であると認定した。
しかし、女子生徒が、自死の前日に提出したプリント「生いたちの記」に「私は今まで大切に育てられてきて、この自分の命は、自分からすててしまわず、一日一日を大切に生きていこうと思いました」と書いていたことから、「担任が自殺を予見することは困難だった」とした。
担任が、他の教師や校長にいじめの問題について報告、協議をしなかった点については、「そのような報告、協議や学校職員全体による対応によっていじめが解消したかどうか不明である」とした。
一方で、担任が放課後などの時間を利用して、いじめる側の子どもに個別に注意、指導したり、仲直りの場を設けるなどし、また、加害生徒の親にも働きかけをしたことなどを認定した。
「担任の対応で、一時はいじめを自覚しない状況になるなど効果があった」として、いじめを防ぐための注意義務違反はなかった」と指摘した。
学校側がいじめによる自死を予見するのは困難だったと断定し、「担任および校長らには安全配慮義務違反はない」と判断した。
また、自死後の調査•報告義務に関して、「学校側には、在学関係に付随する信義則に基づく安全配慮義務違反と報告義務(学校やこれに密接に関連する生活関係における生徒の行状や指導内容を教育的配慮のもとで親権者に対し報告する義務)がある」としたが、「保護者の求めに応じて調査する義務はない」とした。
「被告富山市は校長から提出された事故報告書の大部分を親に報告すれば、報告義務は尽くされた」として、「自殺後にクラスの子どもらが書いた追悼の作文を後日担任が焼却した点も問題はなく、いじめの状況、原因、経過についての詳細な調査報告の義務はない」と判断。
「市が法的義務として調査義務を負っているとする根拠は見いだせず、事故報告書も作成して、それ相応の説明がされた」として、市側の対応に問題はなかったとした。
控訴審(名古屋高裁)
2001年9月17日 遺族は不当な判断だとして、名古屋高裁へ控訴した。
一審判決の誤りを準備書面で指摘した。
- 安全保持義務について誤りがある。「いじめによる自殺を防止する義務」の不履行でなく、「いじめにより心身に対する違法な侵害を加えられないように適切な配慮をすべき義務」の不履行を問題にしている。(すなわち、自殺の予見性ではなく、いじめそのものの権利の害性に対する認識を争っている。)
- 担任が学年主任や保護者への報告•協議をせず、学校がいじめの研修等をしなくても義務違反でないとする判決は、いじめへの理解欠如(専門家証言の無視にあたる)もはなはだしく、いじめ克服の努力•成果を認めない暴論である。
- いじめの進行を親に報告しないこと、調査も検討もないまま記載されたずさんで誤りの多い事故報告書、追悼文を両親に開示しないまま焼却処分にしたことのすべてを報告義務違反ではないとする判決は、学校側のいじめ隠しを追認するに等しい。
など。
2003年2月5日、控訴審冒頭で父親が陳述した。(父親の控訴審意見陳述書参照)
和解案
裁判官からの若い提案に対して、原告側が和解条件を提示した。
1. 事故報告書をつくり直すこと。
2. クラスメートの追悼文「◯◯(女子生徒の苗字)さんへ」を再現するよう努力すること。
3. 謝罪すること。
4. いじめをなくすための措置、施策を明確にすること。
対して、富山市側は「すべてできない」と回答。
裁判官について
第一審で長く関わっていた源判事が、控訴審の主任裁判官だった。
そのため、原告側が抗議。裁判官を交替し、公正な裁判を求める意見書や葉書が全国から多数、送付される。
声に押されて、5月に担当裁判官が、源判事より渡邉判事に交替した。
控訴審判決
2003年12月17日 名古屋高裁金沢支部•長門栄吉裁判長は、一審判決を支持し、両親の控訴を棄却した。
判決要旨
裁判長は、「担任は相当の教育的配慮に基づいて指導し、自殺時にはいじめはなくなっていたので、報告する義務もなかった」として控訴を棄却した。
| 原告の主張 | 裁判所の認定 | |
|---|---|---|
| E子さんが、女子生徒が手首に捻挫するほどのいじめを受け、その加害生徒をE子さんが特定しているのに、担任がその生徒を把握しながら何も措置を取らなかったことを陳述書に書いて提出。 | 女子生徒が中学1年生の5月中旬から6月下旬に、手首捻挫や鎖骨骨折の負傷をしたことは、いじめの結果である蓋然性が高いことを認めなかった。(不登校新聞等に「認めた」とあるのは誤り) | |
| 担任は7月にいじめを認識したのに、実態把握の調査や報告も解決への対応もしなかった。 | 担任がいじめの存在を認識できたのは10月初め、女子生徒から、「◯◯(女子生徒の苗字)死ぬことにさんせい、◯◯(女子生徒の苗字)殺すことにさんせい」と書かれたメモを受け取った時と認定。 | |
| 学校には、「いじめにより心身に対する違法な侵害を加えられないように適切な配慮をすべき義務」の不履行があった。 内田良子カウンセラーがいじめの精神的ダメージや心的外傷について陳述書を提出。 |
いじめ態様は「言葉によるものや仲間はずれあるいは無視という態様のものであって、それ自体で直ちに心身の安全に危害が及ぶようなものではなかった」と認定。 | |
| 自死した12月にもいじめが存在したと主張。 11月に女子生徒と絶交したという親友の陳述書や、自死直前に別の友人が女子生徒に送った「無視させてもらう」という内容の手紙を証拠提出。 |
「(元生徒の)陳述書は12月のいじめについて、いじめグループがどんないじめを加えたのかの具体的な記載に乏しい」。「手紙を送った友人は◯◯(女子生徒の苗字)さんとは別クラスで、いじめは知らなかったはず」と信用性を否定。一方で、担任の証言によれば、「中立的な立場の生徒や、他の教師からの◯◯(女子生徒の苗字)さんに対するいじめの報告もなかった」「◯◯(女子生徒の苗字)さんの自殺後に1年3組の生徒が◯◯(女子生徒の苗字)さん宛に書いた作文には、◯◯(女子生徒の苗字)さんに対するいじめを具体的に記載したものはなかった」から「いじめが行われていたものと認めることはできない」とした。 また、担任の指導や働きかけの結果、同年12月13日ころには、いじめはなくなったと判断できる状態になり、指導が効果をあげ、被害者自身が担任に「いじめはない」と答え、同月17日には元気になったと答えた(担任の証言)ので、被害者自身がいじめが継続しているとは自覚していなかったと認定。 |
|
| いじめが自死の直接原因である。 | 自死の原因については、一審同様、「主要な要因はいじめ」としたが、「親友との仲違いや過去のいじめの再来を予想させる手紙に絶望し、自殺に駆り立てられた」と判断。 | |
| 学校には調査報告義務があり、追悼文を両親に開示しないまま焼却処分にしたことは報告義務違反である。 | 学校側には一般的に調査報告義務がある。 子どもの死後にも信義則上、保護者への報告義務はあると認める。 しかし、作文を開示しなかった市の対応については、「教育目的で書かせた作文の開示はできない」「情報公開に対する各条例を適用したもので、非協力的とは言えない」とした。 |
(様々な資料から武田さち子氏が一覧表にまとめられたものです。)
上告審(最高裁)
両親が最高裁に上告。
2004年6月 最高裁から6月10日付けの上告不受理決定が届く。
参考資料
書籍
せめてあのとき一言でも: いじめ自殺した子どもの親は訴える
鎌田慧(著) / 草思社 / 1996年10月1日
<内容>
大河内清輝君をはじめ、いじめで自殺した12人の子どもの親たちが語る事件の真相。わが子を喪うという最も悲惨な体験を通して現在の日本の学校教育を鋭く告発する。
隠蔽: 父と母のいじめ情報公開戦記
奥野修司(著) / 文藝春秋 / 1997年11月1日
<内容>
続出するいじめ。真実を隠す学校。ついに父と母は立ち上がった。「情報」とはいったい誰のためのものなのか? 黙って自死した我が子の「真実」を求め続けた親たちの9年間を追った書き下ろしノンフィクション。