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1994年(平成6年)12月13日、愛知県の岡崎市立福岡中学校の男子生徒Aさん(中学1年生•13歳)は、毎日のように数人から10人近くの男子生徒から階段から突き落とされたり、椅子をぶつけられたり、プロレスごっこなどの暴行を受けたり、カバンに「死ね」と書かれたことを苦にして自死した。
校長は一旦はいじめと自死の関連を認めていたが、翌日には否定した。担任の女性教諭はAさんの母親から相談を受けたり、クラスの生徒からの提案でいじめ問題の学級会を開いたが、問題を深くは取り合わなかった。
事件の経緯
1994年1学期の中頃から男子生徒は主に同じクラスの男子生徒3人から授業中に鉛筆や教科書を投げ付けられたり、休み時間や放課後に教室などで殴られたり蹴られたり、階段から突き落とされたり、プロレスごっこなどの暴行を受けていた。(同級生の証言)
以前、1994年11月27日に起きた西尾市立東部中学生自死事件の話題がAさんの親子で出たことがあった。父親が、息子もいじめられている気がして「お前、(事件の被害生徒みたいに)こんなことされたらどうする。死んじゃうか」と聞いたところ、息子は「そんなことするわけないよ。お父さん、僕はまだ中学1年だよ」と語っていた。
9月(2学期の初め)、「クラスにいじめられている子がいる」という生徒の提案で、いじめ問題の学級会が開かれたが、担任の女性教諭(45歳)は「いじめている方も悪いけれど、いじめられる方もしっかり言うべきことは言わなければならない」と問題を深くは取り合わなかった。(同クラスには、3人組のいじめが原因で、2学期に入ってから不登校になった生徒がいた。)
10月、Aさんのカバンや筆箱に油性マジックで「死ね」と書かれていたことから、いじめを心配した母親が、担任の女性教諭に相談した。
10月15日、教師がいる時に、3人組から椅子をぶつけられて頭を3針縫う大怪我を負わされた。
Aさんの母親は西尾市立東部中学生自死事件後、買い物に行った店で、「福岡中は大丈夫かしら、私の息子も3針縫う怪我をしたことがあって」と話していた。
12月5日、学校は生徒を通じて保護者宛に、いじめ防止を呼び掛ける文書を出していた。
12月5日と12日、朝礼で西尾市立東部中学生自死事件後、「(同校でも)いじめはないと思うが、人ごとではない。周りで見たら、先生に言いなさい。全力で対応するから」と話していた。
12月12日、5時限終了後、Aさんは所属するパソコン部の活動に参加し、午後4時40分頃、友人と一緒に下校した。(この生徒の話では、Aさんは期末試験の成績が悪かったことを悩んでいたという。)以降、行方がわからなくなり、家族は13日午前0時30分に岡崎警察署に届け出た。
12月13日午前8時50分頃、Aさんの父親が共同経営する工場内でAさんがクレーンに紐を掛けて首吊りしているのが発見された。
同日、複数の同級生が「A君は入学後すぐに数人と喧嘩になり、反抗したことでいじめが始まった。」と証言した。Aさんは毎日にように数人から10人近くの男子生徒に叩かれ、教諭がいない時に教室の後ろでいじめられることが多かったという。2学期に入ってからはカバンや文具などに「バカ死ね」と落書きされ、10月には落書きを巡るトラブルで同級生が投げた椅子が頭に当たり、数針縫う怪我を負ったことも明らかになった。
学校側は同日午後8時の会見で、Aさんが暴力を受けたり、悪戯をされていたことを知りながら「いじめ」と見ていなかったことを認めた。
校長は一旦は「いじめがあったかも」と因果関係を認めており、「遺書がなく、家族も心当たりがないとしているのでわからない。当面は警察に調査を任せたい」とした。また、Aさんが椅子を投げられて怪我をしたことについては「(双方の家族が話し合い)トラブルは決着している」と説明した。「ある種のいじめだったかもしれないが、いじめでないかもしれない」とした。
12月14日、中日新聞は朝刊の1面で事件を取り上げ、「学校の認識の甘さがまたも露呈した」「六キロしか離れていない西尾市の東部中での“教訓”は生かせなかった」と強調した。
担任教諭が教室で生徒1人ずつを教室前の自分の机に呼び、いじめがあったかなどを1時間にわたって聞き取り調査をした。しかし、全員からは聞かず、いじめていたと名指しされていた男子生徒からは聞いていない。
同日夕方、校長はAさんのクラスの代表2人から20分聞き取りをした後、「亡くなったA君のためにもこの学校を日本一にしよう」と話した。
生徒は担任から「報道陣がいあるから通夜には行かない方がいい」と言われたという。
同日夜、校長は記者会見でそれまでの発言を撤回し、学校の調査結果として「男子生徒の学級にいじめはなかった」と断言した。クラスの生徒から1時間にわたり話を聞いた結果、「A君は楽しくやっていた」「継続的に殴ったり蹴ったりするなどのいじめはなかった」として、いじめを否定した。
同級生から椅子を投げられた件については「突発的な喧嘩」であり、筆箱に落書きされたのも「担任が注意したら二度なかった」とした。また、自殺の原因としては「成績問題などが浮かび上がってきた」「成績が思わしくないことやプライバシーに関するため公表できない悩みがいくつか重なったらしい」と説明した。
報道陣が聞いた同級生からのいじめ証言については、「我々が聞いた範囲では、いじめの証言は一切なかった」とした。校長は当初、「早急に担任が話をする場所を設けたい」としていたが、やがて「女性でもあるし、正確にきちんと話す自信がないと言うので、校長を通じて話す」と撤回した。
Aさんは小学校の頃からいじめられており、多くの生徒や教師が証言しているが、学校側は否定した。
(月日不明)文部省の政務次官が「わずか1日で開き直る態度はどうかと思う。命に関わる問題には慎重であるべきなのに、学校に責任はなかったと言う言い方は論外だ」と批判した。しかし、校長はその後も「自殺の原因はいじめではないと思う。私は非難されたが、いじめと決め付けると、逆に級友が傷付く」と発言した。
12月15日午前、校長は遺族宅を訪れ、「自殺の原因は家庭と本人にあると前夜の記者会見で発言したと報じられているが、真意ではない」と釈明したが、その後も「いじめはなかった」と言い続けた。
同日夕方、Aさんの両親と祖父は記者会見し、父親は「なぜいじめはなかったと断言できるのか。私の気持ちとしてはあったと思っている。他に理由が見当たらない」と語った。
市教育委員会は校長と歩調を合わせ、「あれはいじめではなかった」と結論を下し、幕引きを図った。
(月日不明) 臨時全校集会の後、「自分がいじめたから死んだ」と泣く男子生徒もいた。
12月20日、Aさんの父親は「警察の調査結果を聞いて納得した。この件はもう終わりにしたい」と声明を発表した。「警察の捜査結果は『自殺であった。原因ははっきりしない』ということだった。いじめられていたと今でも思うが、それが『いじめ』と言えるものかどうか分からない。自殺の原因もいじめかどうか分からない。校長との見解の相違もあり、もう考えたくない」と話した。(Aさんの姉が同校の3年生で進学を控えていた。)
12月21日、臨時PTA総会に保護者ら210人と教職員が出席した。校長は「当初、調査ができておらず『いじめがあったかもしれない』としていたが、その後の生徒からの聞き取りで、いじめはなかったと判断した」と説明した。
質問の前に名前と子どものクラスを言わなければならならず、手を挙げにくい雰囲気だったため、保護者からは学校を批判する意見などは一切なく、「校長の説明は納得ができた」「学校は誠意をもって取り組んでいる」と理解を示す声がほとんどだった。
1995年3月6日、市教育委員会は批判をかわすため、いじめなどについて小中学生と学校、父母、地域が話し合うオピニオンサークルを新年度から市内41の小学校区に設置すると発表した。
参考資料
“岡崎市立福岡中学校” ウィキペディア 他