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2022年(令和4年)5月に東京都港区の保育園に通い始めたA子さんは、両親が中国籍の同学年のB子に毎日仲間外れにされたり、頭から砂を掛けられたり、本来は保育園に持って来てはいけない私物を持ってきて自慢する執拗なマウンティングを繰り返されるなどのいじめに遭い、解離性人格障害の症状を表すようになった。
A子さんの保護者は保育園に何度も適切な対応を求めたが状況は改善せず、転園を決意した。A子さんは新しい幼稚園に転園して笑顔で登園するようになったが、B子が「A子ちゃんと遊びたい」という理由でA子さんが通う幼稚園に転園してきた。保育園の園長はA子さんの退園の理由がB子の存在であると認識していたが、B子の転園に際してB子の保護者にトラブルについて伝えなかった。(後にB子の保護者は「A子ちゃんがB子を理由に転園したと知っていたら、転園しなかった」と証言している。)
B子は転園後もA子さんに対して仲間外れだけではなく、暴言や暴行を繰り返し、他の保護者が止めに入って助けるという事態も起きていた。A子さんは心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症し、物が二重に見えたり、「いじめ」「じゃましないで」などの言葉で突然泣いたりするようになり、不眠症状を改善するために睡眠導入剤を処方されていた。
A子さんの保護者はB子の保護者と2回面談を行った。B子の保護者は1回目の面談では謝罪こそしないものの「こちらが転園することも検討する」と話していたが、2回目の面談では「いじめがあるというのなら証拠を出してみろ。B子に関して根も葉もない悪口を撒き散らすな。」と一転して強行姿勢になった。同席していた園長がB子の保護者に園での様子を伝えたが、B子の保護者は聞く耳を持たなかったため、A子さんの保護者は登園停止を決断した。
A子さんの保護者は幼稚園と教育委員会との交渉を重ね、B子と接触しない状況でA子さんが週に1度の登園を再開した。友達に会えて「自分は悪い子じゃないんだ」と思えたことでA子さんの精神状態は少しずつ改善方向に向かっていった。A子さんの保護者は登園の日数を増やす方法を模索したが、「今の制度そのものがいじめ加害者に有利で公的な救済だけでは現状は打開できない」と判断し、自らのXに事件についての顛末をポストした。このポストは1400万回以上見られ、10万を越える「いいね」が集まった。それを受けてかB子が退園することになった。
2025年9月30日、調査委員会は保育園の対応について、「園長が配慮していれば、本事案は少なくとも阻止できた可能性があると考えられる」と指摘し、港区や教育委員会に対してもいじめ情報を吸い上げる報告ルールの作成や、いじめかどうかを認定するフローを確立する必要性があると指摘したが、A子さんに対するB子の行為がいじめに当たるかどうかは曖昧にした。
ちなみに港区では令和元年度以降で小学校で677件、中学校で64件のいじめが発生しているが、いじめ重大事態の申し立ては0件、重大事態調査も0件だという。幼稚園•保育園については文部科学省が示す「いじめ」の定義の対象ではなく、件数は計上されていない。
事件の経緯
A子さんの姉とBの姉は同じ小学校に通っていたが、小学校の学芸会で両親と見に来ていたB子はなぜか両親のところを離れてA子さんを膝の上に乗せて観覧していたA子さんの父親に近付き、A子さんと一緒に父親の膝の上に座ろうとした。父親が断ろうとすると、B子は「言うことを聞きなさ~い」と命令し、B子の両親は子どもを放置していて注意する気配もなく、父親は唖然としながらも学芸会の最中なので騒ぐわけにもいかず仕方なく受け入れた。
B子の両親は中国籍で日本語は通じるが、周囲の目を全く気にせず、自分たちの都合を中心に考えて、それを当然とするような雰囲気」であり、「子どもがトラブルを起こしても『だって子どもがやりたいって言ったから仕方ない』『注意されないならルールを破ってもいい』という感覚が強く、反省の姿勢が全くみられないため、これも文化の違いで仕方ないのかと当初は理解しようとしたA子さんの父親もコミュニケーションの困難さを感じた。
2022年(令和4年)5月、A子さんは港区内の保育園に通い始めた。後に加害行為をするB子は当初から同学年だった。
A子さんは保育園から帰って来ると、B子が「嫌だと言っても聞くまで命令してくる」「保育園で禁止されているアクセサリーをつけてきて自慢してくる」と、しきりにB子の話をするようになり、A子さんの保護者の違和感は徐々に増していった。
2024年4月、A子さんがB子の気に入らないことをすると、頭から砂を掛けられるということが何度もあった。この頃、それまでは画用紙全体を使って楽しげな絵を描いていたA子さんは、せっかく描いた絵を黒く塗りつぶしたり、木と家しかない寂しい絵を描いたりするようになり、父親は保育園で何か起きているのではと感じ始めた。また、A子さんの会話に「ロボット」という単語が出て来るようになり、嫌なことがあると「ロボットです、ロボットです」と機械調の声でロボットの振りをするようになった。「私はロボットになっちゃった」と頻繁に言うようになり、保育園に行く時も「ロボットになっちゃった」とロボットの振りをして行き渋るようになった。後にA子さんはいじめで一番辛い時期に頭の中で「ロボットの世界」という架空の世界を作り、架空の友達の話もするようになった。父親は「あれはおそらく、自分が嫌なことを耐えるために、ロボットとしての別の人格を作ろうとしていたのではないかと思います」と話している。
5月、B子ともう一人の幼児が一緒になって、A子さんが頼んでも遊びに入れず、仲間外れにされることがほぼ毎日あった。B子はA子さんを一方的に仲間外れにしておきながら、その責任があたかもA子さんにあるかのように発言していた。具体的にはA子さんがB子に保育園の教室の壁の隅に連れて行かれ「こんなことになったのは全部A子ちゃんが悪いんだよ。全部A子ちゃんのせいなんだよ」と責められた。
6月に入るとA子さんは家で毎日のようにB子とのトラブルを話すようになった。保育園の担任に何度も相談して対応を求めたが、状況は一向に改善しなかった。
6月19日、A子さんの父親はA子さんを保育園に送り届けた直後、B子ともう1人の園児からA子さんが仲間外れにされる場面を目撃した。A子さんが「遊びに入れて」と言うと、B子に拒否され、さらにB子から何か言葉を掛けられると茫然と立ち尽くしてしまった。父親はA子さんがずっと仲間外れにされていたのではないかと気付き、A子さんに「泣きたいの?」と聞くとA子さんは大声で泣き始めた。父親はA子さんがその日はとても保育園に居続けられないと判断し、連れて帰った。そこからA子さんは少しずつB子ともう1人の園児にずっと仲間はずれや嫌がらせを受けていたと話し始めた。この日以降、A子さんはそれまで以上に保育園へ行くことを拒否するようになった。A子さんの父親は保育園の担任や園長に重ねて相談をしても何ら状況に改善が見られず、クラスが1つしかないために保育中のA子さんとB子の分離が難しいと考え、7月には保育園から別の幼稚園に転園することにした。
保育園に在園中、日常的にあったこと(調査報告書より)
• 常にB子がA子さんに対して所有物(大抵は本来は持ってきてはいけないもの)を自慢するなど常にマウンティングを取ろうとし、「あなたのうちと違って私のうちは大金持ちだから、あなたができないことがたくさんできるの」などと繰り返し発言した。そのためにA子さんはうちのことを貧乏だと思い込まされた。
• 服や髪ゴム等についても執拗にマウンティングし続け、「あなたのものよりも私の方がかわいい」などと言い続けた。これによりA子さんは、自分ひいてはA子さんの家がB子の家より劣っていると思い込まされた。
• A子さんがB子のやることに抗議すると、「私悪くないもーん」とふざけておちょくってきて、まともに取り合わなかった。
7月、A子さんは新しい幼稚園に転園した。以前から保育園で交流していた幼稚園で馴染みもあり、A子さんはすぐに落ち着きを取り戻し、一緒に遊ぶ友達もできて笑顔で登園するようになった。
11月、B子が「A子ちゃんと遊びたい」という理由で、A子さんが通う幼稚園に転園するという噂が流れた。A子さんの保護者から何度も相談を受け、A子さんの退園の理由がB子の存在であると伝えられていたにもかかわらず、保育園の園長は「どっちに転ぶか分からなかった」「判断が難しかった」(調査報告書より)としてB子の転園に際してB子の保護者にトラブルについて伝えなかった。(後にB子の保護者は「A子ちゃんがB子を理由に転園したと知っていたら、転園しなかった」と証言している。)
12月2日、B子はA子さんを追って転園してきた。B子の保護者は「B子ちゃんがA子ちゃんと遊びたいと言っているから転園を決めた」と説明した。この際、A子さん保護者への事前相談はなかった。
A子さんはB子が幼稚園に来ると知った時から不安状態に陥った。A子さんの保護者は幼稚園の主任兼担任のC主任にA子さんのケアを再三お願いしていたが、懸念通りB子がA子さんを追いかけ回し、保育園時代と同様の嫌がらせを始めた。その後、職員ができる範囲でB子をA子さんから引き剥がすものの、B子からA子さんへのアプローチが想像以上で制御しきれずいじめが続いた。C主任も問題を認識し、職員間で共有したが、幼稚園の職員に欠員が出て人手不足だったこともあり、対応は後手に回った。
A子さんはB子が来た初日から様子が一気に不安定になり、頻繁に夜泣きするようになり、おねしょも始まった。夜になると「ああ! ああ!」と叫び声をあげて2、3時間毎に起きた。A子さんは母親と一緒に寝ていたが、A子さんの不安と異常に直面し、肉体的にも精神的にも大きな負荷を科せられた母親は「なんでこんなことになっちゃったんだろう」「自分が悪かったのかな」とどんどん塞ぎ込んでいった。A子さんの父親は、このままでは家庭が崩壊してしまうと危機感を覚え、B子の保護者との面談を幼稚園に働きかけた。
12月、延長保育時にA子さんは別の遊びをしたかったが、B子に無理矢理人形遊びをさせられた。その時に人形遊び用の小物がたくさんあったが、そのほとんどをB子に持っていかれ、A子さんは残り物2つでしか遊べなかった。その上、自分が小物がいらなくなると、B子が「これいらない」と小物をA子さんに向かって投げつけてきた。これ以降、延長保育に行きたがらなくなった。
12月4日~17日、A子さんがずっと楽しみにしていた幼稚園の誕生日会で、転園してきたB子が、当月が誕生日でもないのに「写真に写りたい」と強く主張し続け、C主任も根負けして誕生日の子だけが取れる写真撮影に無理矢理参加した。A子さんは、自分はいつも写真に写りたいのをルールだから我慢し続けたのに、B子はルールを守らず先生に特別扱いされてずるいと感じた。
12月19日、A子さんとB子の保護者は、園長同席の元で話し合いの場を持った。A子さんの保護者が事情を説明すると、その場ではB子の保護者は「状況によってはこちらが転園することも検討します」と柔軟な姿勢を見せた。しかし、それ以降もA子さんはB子から人形遊び用の小物を投げつけられる、苦労して作った工作を取り上げられそうになるなどのトラブルが続いた。
12月23日、A子さんが限界に達し、幼稚園の指導中にA子さんが号泣しながら「何でこんなことをするのか」とこれまでの嫌がらせを抗議した際、B子はおどけてまともに話を聞かなかった。
12月下旬、A子さんが「今度◯◯ちゃんと遊ぶんだ」と言ったところ、「私の方がもっとかわいい子と遊ぶんだ。そんな子全然可愛くない」と会ったこともない子を貶めてマウンティングをしてきて、A子さんはその子のことがとても好きだったので、とても悲しく嫌な気持ちになった。
12月末、この頃、他の保護者が廊下でB子がA子さんに暴言を吐き続け、パンチやキックの寸止めなど執拗な嫌がらせをしている場面を目撃している。他の保護者が最終的に止めに入って助けるという事態があった。
2025年1月9日、幼稚園でB子とA子さん、その他2人の4人でおうちごっこをしている時、B子が急にA子さんにだけ、自分と同じ体操をやれと言ってきた。A子さんが「嫌だ」と言って断ると、B子はすぐに保育士に「Aちゃんが怒った」と告げ口をした。A子さんは「Bちゃんの言うことばっかり聞きたくない。やりたくない」と言ったが、B子は「えー。やだー、私の言うこと聞いてよ」と言ってきた。その後もA子さんは「嫌だ」と言ったが、結局やらされてとても嫌な思いをした。
1月23日、A子さんの保護者とB子の保護者の2回目の面談が行われた。1回目の面談では謝罪こそしないものの「こちらが転園することも検討する」という姿勢だったB子の保護者は、「いじめがあるというのなら証拠を出してみろ。B子に関して根も葉もない悪口を撒き散らすな。」と発言し、一転して強硬姿勢になった。同席していた園長が「園での様子を見る限り“何もなかった”ということはないと思う」と助け船を出したが、B子の父親は「そうですか」と言うだけで聞く耳を持たなかった。それを見て、A子さんの保護者は断腸の思いで2月中の幼稚園の登園停止を決断した。A子さんの父親は「せっかくいじめを逃れるために転園したのに、また、いじめで通えなくなるのか」とやり切れない気持ちになった。
1月27日、A子さんがチャーシューを製作して遊んでいたら、B子が「よこして」と言って持って行こうとした。A子さんが「それは私が作ったのだから持って行かないで」と言うと、B子は「私はずっとラーメンを作っていたから、そのチャーチューは私が使う」と言って喧嘩になった。C主任が間に入ってくれて、チャーシューは作ったA子さんのものになったが、A子さんはとても嫌な気持ちになった。
幼稚園に在園中、日常的にあったこと(調査報告書より)
• 常にB子がA子さんに対して所有物(大抵は、本来は持ってきてはいけないもの。衣服、ハンカチなど)を自慢するなど常にマウンティングを取ろうとし、「あなたのうちと違って私のうちは大金持ちだから、あなたができないことがたくさんできるの」などと繰り返し発言したため、A子さんはうちのことを貧乏だと思い込まされた。
• B子が常に「~しなさい」と命令口調でA子さんに言うことを聞かせようとした。「嫌だ」と言っても無理矢理従わせようとした。それでも断ると先生のところに行って「A子ちゃんが嫌いっていう」と嘘混じりのことを言いつけ、さもA子さんが悪いかのような状況を作った。これが日常的に行われていた。A子さんはこれにより「先生やお友達が自分が悪い子だ」と思っていると考えるようになり、とても悲しかったと言っている。
時期不明(調査報告書より)
• B子しかできない縄跳びの技があったのでA子さんが「教えて」と頼んだが、「Aちゃんには教えてあげない」と言って、A子さんだけには教えず、他の子には教えていた。
A子さんの症状は幼稚園に通わなくなったことで改善するどころか更に悪化し、耳が聞こえない、ものが2重に見えるという身体症状を訴えるようになった。また、外に出るとB子と会うのが怖くて足がすくんで動けなくなってしまうために外にも出られなくなった。A子さんの母親の負担が限界を超え、1日に2~3回嘔吐するのが日常になり、鬱病の診断が下りた。家全体に緊迫感が張り詰めている中で、小学校低学年のA子さんの姉が「私が家を支える」と母親を励ましたり、A子さんの話を聞いてあげたりしていた。状況改善のためにA子さんは母親の実家に1週間ほど預かってもらうと、東京にいることが怖くて辛かったA子さんは「東京に帰りたくない」と言い戻って来れなくなった。それでも1か月後、A子さんは勇気を出して東京に帰って来ることができた。
2月7日、A子さんの主治医と保護者は港区の子ども家庭支援センターに相談したが、子ども家庭支援センターは何も動いてくれなかった。どのように情報共有がされるのかも分からず、その後何の連絡もなかった。
2月9日、家のお風呂で1~100まで数えているとA子さんは急に泣き出し、「どうしたの?」と聞くと、「B子ちゃんのことを思い出して嫌な気持ちになって、悲しくなった」と言って泣き続けた。
日に日に状況が悪化する中で、A子さんの父親は離れた場所への引っ越しや転園も考えたが、A子さんの姉が小学校に馴染んで友達もいるので引っ越しはできず、B子の保護者の対応も全く期待できず、3月頃から港区や行政機関に助けを求めたが、港区が運営している子ども家庭支援センターは話を聞くだけて本当に何もしてくれなかった。港区教育委員会に「いじめ重大事態」の申し立てをするしかないと考えたが、多くの自治体が用意している「いじめ重大事態」の申し立ての案内ページが港区にはなかった。知り合いの区議が「保護者からの申し立ては想定しておらず、実績もない」とする区教育委員会の主張と、過去に「被害児童生徒や保護者からいじめられて重大事態に至ったという申し立てがあったときは、重大事態が発生したものとして報告•調査にあたります」と明記されている文書の矛盾を指摘し、区議会で質問してくれたおかげで、4月末にようやく申し立てが受理された。

画像出典:文春オンライン
4月、A子さんは東京の家に戻ったが、精神状況は不安定なままで、「ロボットの世界」の話を更に頻繁にするようになり、架空の友達の話に加えて、“ロボットの世界のパパ、ママ”も出てきて空想と現実の境目がかなり怪しくなっていた。幼稚園に荷物を取りに行った際、A子さんが「一緒に行きたい」というので心配しながらも一緒に連れて行ったところ、幼稚園の靴箱でB子の名前を見てしまい、その日からA子さんは極端な幼児返りの症状が出て、授乳をせがんだり、おんぶやベビーカーでの移動をねだったりするようになった。また、極端な自信喪失状態で何かあると急に「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝り続けることもあった。加えて不眠症状も顕著に表れ、精神科でPTSDの疑いという診断を受け、睡眠導入剤(ラメルテオン錠8mg 0.25錠/日)を処方されて眠れるようになったが、小学生にもなっていないA子さんに睡眠導入剤を飲ませることで母親の精神状態も更に悪化した。
A子さんの父親は幼稚園•教育委員会との交渉を重ね、7月頃からはクラス分けをしてB子と接触しない状況でA子さんが週に1度の登園を再開できることになった。友達に会えて「自分は悪い子じゃないんだ」と思えたことでA子さんの精神状態は少しずつ改善方向に向かっていった。

画像出典:文春オンライン
A子さんの父親は幼稚園に通うことがA子さんにとっても大事だと再確認し、園を通じてB子の家庭に「お互いに2日ずつ休むことで接触せすに週3回登園できるようにできないか」という提案をしたが拒否された。これを受け、幼稚園も代替案を検討したが、とても他の保護者に受け入れられるようなものではなかった。万策が尽きたと考えた父親は「今の制度そのものがいじめ加害者に有利で公的な救済だけでは現状は打開できないと判断」し、9月14日、自らのXに事件についての顛末をポストした。このポストは1400万回以上見られ、10万を越える「いいね」が集まった。それを受けてか9月下旬にはB子が退園することになった。
A子さんの父親は「公的な制度の外にあるSNSの力を借りて圧力をかけた形になるので自分としても複雑な思いはありますが、再登園を実現するために他の方法はありませんでした。ここまで来られたのは、区議に知り合いがいて、SNSである程度発信力がある自分だったから、という部分が多いことは自覚しています。逆に、港区に住むほとんどの親は、子どもがいじめられてもそれを解決する方法がほとんどないということです。実際に、港区で『いじめ重大事態』の枠組みの調査が行われたのは小学校や中学校などを含めてもうちのケースが初めてです。その裏には、泣き寝入りしてきた家庭がたくさんいるはずです。港区は認定されたいじめの数も他自治体に比べて異様に少なく、いじめ対策が極めて甘かったと言わざるをえません。」とし、今後については港区に対して安全配慮義務違反での損害賠償を要求する訴訟を起こすことを検討しており、「港区がいじめ対策をしてこなかったことで泣き寝入りしている家庭が絶対にあると思うんです。いじめを早く見つけることは、被害者にとってはもちろん、加害者側にとっても、早い段階で矯正を始められるのでメリットがあるはず。幼稚園の先生や教育委員会など、現場の方々は彼らの職責の中で真摯に対応してくれたと思っていますが、港区の制度自体に大きな不備があるのは明らか。同じ苦しみを味わう家庭を減らすためにも、法廷で議論したいです。」と話している。
A子さんは幼稚園の登園再開から1か月ほどが経ち、ロボットの世界の話はめっきりしなくなり、一時期は「私が死んでおじいちゃんが生き返ればいいのに」など自分の命を軽く扱うこともあったが、それもなくなり、状態は急速に回復しているという。
調査委員会
調査委員会の設置•調査内容
2025年4月25日、A子さんの保護者は区教育委員会に対し「いじめ重大事態」の申し立てを行い、5月に認定された。
名称:港区教育委員会いじめ問題ケース会議
2025年4月28日から同年9月17日まで聞き取り調査などと会議が開かれた。
調査委員
【港区教育委員会いじめ問題ケース会議委員】
委員長:藤枝静暁埼玉学園大学教授
委員:新井絢子港区立教育センター相談員
牧山美香弁護士(ひびき法律事務所)
【港区教育委員会事務局】
茂木英雄学校教育部長
大久保和彦教育人事企画課長
清水浩和教育指導担当課長
小久保篤子幼児教育担当専門官
富樫学統括指導主事
三戸大輔指導主事
調査報告書•その後
2025年9月30日、調査委員会は保育園の対応について、「園長が配慮していれば、本事案は少なくとも阻止できた可能性があると考えられる」と指摘し、港区や教育委員会に対してもいじめ情報を吸い上げる報告ルールの作成や、いじめかどうかを認定するフローを確立する必要性があると指摘したが、A子さんに対するB子の行為がいじめに当たるかどうかは曖昧にした。
2025年9月26日「調査報告書(令和7年4月25日付け申立てに対する答申)」(PDF:849KB)
参考資料
“「もしかして娘はずっと仲間外れにされていたのではないか…」宇佐美典也さんが5歳の次女が受けた“保育園いじめ”に気づいた瞬間” 文春オンライン (2025年10月28日) 他