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2011年(平成23年)6月9日、愛知県立刈谷工業高等学校(2021年4月に愛知県立刈谷工科高等学校に校名変更)の男子生徒(高校2年生•16歳)は、所属する野球部顧問の暴行を苦にして、野球部顧問から呼び出された2日後に練炭自死した。
学校が県教委に提出した報告者には、部活で常態化していた顧問の体罰については全く書かれておらず、兄が高校野球を辞めたために野球に熱心な親からのプレッシャーで苦しんでいたと書かれていた。(実際には、兄は吹奏楽部に所属し、兄も保護者も野球に特別な関心はなかったという。)また、「だれとも口を利かず、なにを考えているのかわからない子だった」と男子生徒の人格を貶める記載もあった。
2014年2月4日 調査委員会は報告書で、自死の原因に関して「野球部顧問(副部長)による別の部員への体罰や本人への叱責が大きな打撃を与えた」との見解を示したものの、成績の低下と肩を壊したことで自分を責めたことが要因であるとも記されていたことに対して、男子生徒の遺族が不服審査請求をした。
事件の経緯
男子生徒は、1年の秋頃から野球部の顧問教師の暴力を嫌悪する話を家族にしていた。(男子生徒は、小学生時より怒声と叱責が飛ぶ練習指導を嫌っていた。)
男子生徒は2年になってすぐに退部を申し出たが、野球部監督に「逃げてるだけだろう」と言われて却下された。
2011年5月下旬 部室で禁止されているトランプをしていた部員らが、顧問から殴る蹴るの暴力を受けるのを見て、男子生徒は強いショックを受けた。同日、男子生徒は練習試合で落球したため、野球部2軍監督から「ユニフォーム脱げ、消えろ」と怒鳴られ、グラウンド上でユニフォームを脱ぎ、翌日から部活へ行かなくなった。
6月7日 男子生徒は、野球部主将からのメールを通じて、野球部副部長からの教官室への呼び出しを伝えられた。「とりあえず、ビンタ、タイキック、グーパンチ覚悟。覚悟しておきます。明日顔が腫れあがってても気にしないで」と返信したが、翌8日には男子生徒は頭痛を訴えて学校を欠席した。
6月9日 男子生徒は、副部長の呼び出しを受けた後に「今日は行ける」と家を出たが、学校には向かわず、近隣の廃車置き場の廃車内で練炭による一酸化炭素中毒で自死した。
学校と県教委の対応
学校が県教委に提出した事故報告書には、部活で常態化していた顧問の体罰については全く書かれておらず、自死に至る経緯も全く書かれていなかった。男子生徒の兄が高校野球を辞めたために野球に熱心な親からのプレッシャーで苦しんでいたと書かれていた。(実際には、兄は吹奏楽部に所属。兄も保護者も野球に特別な関心はなかったという。)また、「だれとも口を利かず、なにを考えているのかわからない子だった」と男子生徒の人格を貶める記載もあった。
男子生徒の遺族は、事故報告書の誤った記載内容を指摘したが、県教委に取り合ってもらえず、学校側による嘘の記述も訂正されなかった。
県教委の見解では、顧問の暴力は、「部員たちの親からも本人たちからも抗議が出ていないので、指導として受け止められているから、それは暴力ではない」というものだった。
調査委員会
調査委員会の設置•調査内容
2012年2月 県教委は調査委員会を設置した。しかし、3名の委員の氏名を公開せず、代理人弁護士の委員会への立ち会いを拒否し、最初から部員や生徒への聞き取りはしないと明言したことから、遺族は設置要綱の見直しを要求し続けたが、状況は全く変わらなかったために、遺族が不信感を持ち、解散した。
再調査委員会
再調査委員会の設置•調査内容
2013年1月 遺族が県知事に、第三者委員会の設置を陳情した。
2013年4月 知事部局に事務局を置き、県立刈谷工業高校生自殺事案に関する第三者調査委員会が設置された。
2013年11月 調査委員会設置要綱を見直し、非公開としていた調査委員会の調査内容を「原則公開」に改め、委員の氏名も公表した。弁護士など遺族の付き添い人の同席も認めた。
18回の会議
自死から約2年が経過しており、元同級生や野球部員63名中、聞き取りに応じたのは7人、アンケート14人、「協力しない」と回答19人。
調査委員
委員長:加藤幸雄日本福祉大学名誉教授(前日本福祉大学学長)
委員:熊田登与子弁護士(名古屋弁護士会)
高岡健岐阜大学医学部精神神経科准教授
長谷川龍伸弁護士(愛知県弁護士会)
望月彰愛知県立大学教育福祉学部教授
調査報告書
2014年2月4日 知事に「県立刈谷工業高校生の自殺に関する報告書」を提出した。(全89頁)
自殺の背景を、①健康上の問題(肩を壊したことと右手の甲を骨折したこと)、②野球部の雰囲気(顧問の指導方針や部員の取組姿勢のばらつきと時に体罰を含む指導)、③学業成績に関する親からのプレッシャーとした。
6月の時点で生徒は、軽症ないし中等症のうつ病を有し、亡くなる前には、もうこれ以上がんばれないところまで追いつめられていた。
結果、野球部を辞めたいけれども辞められないという二律背反を解消するには自殺するしかないというところにまで、思考は狭窄していたとした。
県立刈谷工業高校生の自殺事案に関する報告書について(愛知県のホームページ)
調査委員会は報告書で、自死の原因に関して「野球部顧問(副部長)による別の部員への体罰や本人への叱責が大きな打撃を与えた」との見解を示したものの、成績の低下と肩を壊したことで自分を責めたことが要因であるとも記されていたことに対して、男子生徒の遺族が不服審査請求をした。
事件の背景
学習指導要領においては課外活動である部活動の出欠は所属部員生徒の自由意志で、部活動の入退は生徒本人の任意であるとされるが、当該高では顧問教員が部員生徒に対する入退部の権限を持ち、保護者らもそれを是としていたとされる。
同校男子硬式野球部の部員生徒に加害を加える指導は同部保護者らから高い評価を得ていた。
遺族に対する誹謗•中傷
男子生徒の葬式が執り行われた後、野球部保護者が男子生徒宅を訪れ、部活動に暴行は前提云々という、亡くなった男子生徒を詰るかのような場を男子生徒の妹(当時小学6年生)が目撃している。
中日新聞のO記者は遺族宅を何度も何度もアポなしで訪れ、男子生徒の自死は野球部監督のパワハラとは全く関係なく、家庭の問題と成績不振に悩んでおり、学校が県教委に提出した報告書に書かれていた男子生徒の兄が高校野球を途中で辞めたため親の期待が男子生徒に向けられ、親からのプレッシャーで苦しんでいたという虚偽の記事を掲載し、遺族が抗議をすると上司のHを連れて夕方突然遺族宅を訪問して男子生徒の自死の原因が野球部とは関係ないことにしたかった野球部保護者たちのデマの数々を鵜呑みにし、「◯◯(男子生徒の苗字)さんの言い分だけを書くわけにはいかない。他の言い分(野球部保護者や学校の都合に悪い部分を隠すためのデマ)も聞いて中立に」と話し、夜中の2時まで居座った。(記者らの来訪のために男子生徒の母親は、中学生の娘や家族に夕食を用意することもできなかった。)1
事件のその後
事件当時の校長は、定年退職で高校を去り、2012年4月からは刈谷市の副市長に就任した。
2016年3月15日 日本スポーツ振興センターが、「学校の管理下において発生した事件に起因する死亡」と認め、死亡見舞金を支給した。
2018年5月23日 愛知県弁護士会が、「人権侵害にあたる」として、警告書を元副部長の教諭に対して提出した。
副部長による体罰を把握せず、もう少し頑張らせることも必要と思い、「辞めちゃダメだ。逃げるな」を突き返した当時の監督は、「死ぬほどつらいと思っていたことに、なんで気付いてやれんかったのか。死ぬまで心の中に持っとかなきゃならん十字架なんです」と自責の念を感じ、「自分に野球を教える資格はない」と野球から離れ、2017年に教職を退いている。
外部リンク
男子生徒の母親のXアカウント(@Yumiko_b_YAMA)
- “男子生徒の母親のXポスト” X (2025年7月19日)