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1996年(平成8年)9月18日、鹿児島県の知覧町立知覧中学校の男子生徒(中学3年生•14歳)は、複数の上級生と同級生から1年半にわたり殴る蹴るなどの集団的な暴行と恐喝を受けたことを苦にして自死した。
2002年1月28日、鹿児島地裁は継続的ないじめの事実と暴行と自殺の因果関係、学校の安全義務違反を認定し、被告の町と生徒5人に計約4480万円の支払いを命じた。過失相殺4割。
事件の経緯
1995年 男子生徒は2年生の1学期から、上級生の2つのグループからいじめられた他、同級生からも集団的ないじめを受けていた。
2年生になってから、いじめグループの溜まり場になっていた2年2組に日常的に呼び出されては集団的な暴行を受けた。他の生徒たちも目撃していたが、誰も止めなかった。
3年になってからも、3年3組の前、あるいは部室の前あたりがいじめグループの溜まり場になっており、そこに日常的に呼び出されて集団的な暴行を受けた。
1996年 春休み頃から男子生徒に同学年の生徒から頻繁に呼び出し電話が掛かる。
男子生徒は春頃から小遣いの前借りをすることが多くなっていたが、男子生徒の親はテレビゲームのソフトを買っているのかと思っていた。
4月の家庭訪問の時、母親は担任教師に「息子が(呼び出し電話を)嫌がっている」と相談した。担任は、これらの同級生とは付き合わないようにとだけ言った。
4月26日、男子生徒は11人のいじめグループに呼び出され、1人が殴り疲れると他の者に替わるという形で次々に暴行を受けた。そばに流れているクリークに転落すると、そこに駆け降りて暴行を続け、更に這い上がってきたところを棒で頭を思いっ切り殴られた。その結果、男子生徒は20~30秒間気を失った。気が付いてからも口から泡を吐いた。【霜出事件】
夏休み中も男子生徒に呼び出し電話が毎日何度も掛かっていた。
9月4日、男子生徒は酷い暴行を受けた。
2学期の始業式の日、男子生徒からの電話で学校に迎えにきた父親が、下校する生徒の集団から一人離れて息を切らして走っている息子の姿を目撃した。「なんで急いどるのか」と聞くと「あいつらに会うから」と答えた。父親は「一緒にあそびたくないのだろう」と軽く考えていた。
9月10日、昼休みに男子生徒は同級生3人から「プラモデル用の塗料を買ってこいと言ったのに、なぜ買ってこないのか」などと言われて、2人から腹部を4回ずつ殴られた。
9月11日以降、男子生徒は両親に内緒で登校していなかった。
9月17日、教師からの連絡で男子生徒が登校していないことを両親が知った。問い糺したところ、「学校が恐かった。同級生に打たれるから」と言って、このことを男子生徒は電話を代わって教師に話した。
男子生徒は9月10日に暴行を受けたことを両親に初めて打ち明けた。両親は男子生徒に暴行を働いた少年のうち1人とその両親を呼び出して話した。加害少年の母親は最後に、自分の息子と男子生徒を握手させて終わった。夜、父親は男子生徒と弟を呼んで「学校に行くことはお前たちの使命じゃないか」と諭した。
9月18日、男子生徒は制服を着て家を出た後、近所の公民館の外壁の非常用梯子に、自分の布製ベルトを掛けて首吊り自死した。男子生徒は自死直前に母親に「自殺するからね」と言っていたが、母親は男子生徒が親に無断で学校を休んだことの言い訳だと思っていた。
学生服のポケットに遺書が残されていた。
(便箋に横書きで)
「生きていたくない。学校がいやだ。家では自分の好きなことはできない。◯◯ ◯◯ ◯◯ ◯◯ ◯◯ ◯◯(6名の少年の氏名)この6人がいやだった。なぐられたりけられたり、いろんなことをしてくれた。死んで、きさまらをのろってやる。◯◯(いじめられている1人の名前)なんか僕以上にかわいそうだ。僕みたいに死なないでがんばってくれ。おれが死ねばいじめはかいけつする。(弟への言葉)」
(便箋の左上の余白に横書きで)
「おれはなんども傷をつくった。」
(左下の余白に縦書きで)
「いままでにパシリにされた人やうたれた人は何十人もいる。こいつらには合計五万ぐらいはつぎこんだ。」
※6名の少年の氏名の頭に二重丸が付けてあった。その他に2名の少年の氏名が書いてあった。
9月19日、学校側が3年生の生徒に聞き取り調査をした結果、男子生徒が1学期に集団暴行を受けたり、ジュース代の支払いを要求されたりしたことなどが分かった。作文には「この学年に◯◯(男子生徒の苗字)君をいじめたことのある人は半分近くいる」などの記述もあった。
学校側は3回のいじめのみを公表し、それ以外についてほぼ全てを「知らない」とした。
校長はいじめだけが原因の自殺とは断定せず、他の要因も考えられるとした。
校長は町教委に対する報告を怠っていたことが後に判明した。
9月20日、男子生徒の両親は学校や町教委の調査に懸念を持ち、遺書をマスコミに公開した。
9月22日、鹿児島県警知覧署は、遺書に名指しされた生徒らを事情聴取した。
初七日が過ぎた頃、市民団体「子どもの人権を守る鹿児島県連絡会」(内沢朋子事務局長)が両親と会い説得し、独自に調査を始める。
遺書でいじめたと名指しされた生徒たちを親と一緒に自宅へ呼び、話を聴く。
3人の生徒の両親が「やったことに向き合わないと、立派な大人になれない」と協力するようになり、実態が明らかになっていった。また、同級生19人の証言を集めた結果、2年生の1学期から自殺の直前までいじめが続いていたことが判明した。
校長や町教育長は、両親と「子どもの人権を守る鹿児島県連絡会」に対して、「生徒や親を動揺させたくない」と調査中しを求めた。生徒には「しゃべると新聞に出るぞ」と口止めした。
9月24日、鹿児島県教育委員会が緊急いじめ対策会議を開催した。
10月下旬、校長は数回いじめたとされる生徒らを呼んで「君たちのやったことは殺人未遂事件だから、話はするな」などと口止めをしたと生徒が証言した。これに対して校長は「子どもたちには憶測で話をするなとは言った」と反論した。
10月25日、少年事件として取り上げられ、加害少年6人は暴行容疑で書類送検された。
12月5日、教育長は県議会で「(男子生徒の)自殺はいじめの影響を受けていた」と自殺と学校でのいじめの因果関係を認めた。また、「知覧中では昨年から今年にかけた上級生が下級生に万引きやけんかを強要する事件が起きている。◯◯(男子生徒の苗字)君も4月と9月に集団暴行を受け、使い走りをさせられていた」などと、いじめの具体例にも言及した。
また、教育長は10月現在、鹿児島県内の小、中、高校などで計403件のいじめがあると報告し、その大半が「からかい」や「冷やかし」とし、「いじめ防止に力を注いでいる」と説明した。
1997年3月17日、加害者のうち4人が保護観察処分、2人は不処分になった。
1998年4月末、鹿児島地方法務局から学校に対し、実効性のある措置を取るよう異例の勧告があった。
事件の背景
知覧中学校には2つのいじめグループがあり、上級生が下級生に対して集団的な暴行を行うのが伝統になっていた。その事実について学校側も認識していた。
1994年から1995年にかけ、鹿児島県内でいじめを苦にした中学生の自殺が3件あった。当時、学校には文部省や町教委からいじめに関する通知や資料が次々と送られていた。
事件の関連
1996年9月30日午後4時頃、遺書でいじめをしていたと名指しされた生徒の父親(45歳)が、自宅裏で農薬を飲んで自殺し、翌日死亡した。
9月20日、知覧署は一度だけこの加害者の父親からもいじめに関して事情を聴いていた。
父親は事件があってからは仕事を休んでおり、男子生徒の通夜以降、ほとんど一日おきに遺族宅を訪れ「申し訳ありません」などと謝罪していた。いじめの実態が分かるにつれ、落胆の様子が大きくなっていたという。
町教委は男子生徒の両親が始めた独自のいじめ調査に対し、「これ以上犠牲者を出したくない」として、中止を要請した。
民事損害賠償請求訴訟
提訴
1998年1月21日、両親が町と加害少年5人(遺書に挙げた二重丸の6人中の5人)を相手取って、「自殺の原因はいじめで、学校もいじめを放置した」として、総額9205万円の損害賠償を求めて提訴した。
22回口頭弁論が行われ、元同級生や当時の校長と担任らが証言台に立った。
2001年5月9日から6月11日にかけて、鹿児島地裁は双方に和解を勧めたが不調に終わる。
一審(鹿児島地裁)
原告側の主張
両親は、同級生19人分の陳述書を提出し、独自の調査結果と合わせて「当時、学校内外で暴力事件やたかり行為が横行しており、学校側も把握していた」(いじめ自殺が多発し社会問題化していた当時の社会背景から)「学校は重大ないじめの存在や、それによる自殺の可能性を容易に予想できた」と主張した。生徒5人についても、「継続的な暴行を加え、自殺に追いやった」と訴えた。
被告側の主張
町は「暴行は一過性のものとしか判断できず、断続的いじめの存在は発見できず、そのつど可能な限りの対応をした。自殺を学校として予見することはできなかった」として学校側の責任を否定し、全面的に争う考えを示した。
町は、そのような暴行を知ることはできなかったし、両親ですら自分の子どもがいじめられていることがわからなかったのだから、まして学校側がわかるはずがないと主張した。
生徒5人も、いじめを認めつつも自殺は予想できなかったとし、「自殺直前に助けを求めた◯◯(男子生徒の名前)君を放置した両親に比べれば、責任ははるかに小さい」などと主張した。
被告側は両者とも「両親が自殺直前に冷たい対応をしたことが直接の原因」と主張した。
少年たちは一部の事実を認めているが、原告側が訴状•準備書面で展開した非常に過酷で継続する暴行については否定した。但し、それまでの加害少年からの聞き取り書で既に色々語っている他、家庭裁判所の少年事件調書の中で、原告が主張するような事実はほぼ含まれていた。
少年5人のうち4人は、事実関係をほぼ否定せず和解を提案した。1人は「自殺は予見できなかった」と全面的に争う。
証言
同級生20人ほどが、目撃した事実を克明に記した陳述書を寄せた。その中で、男子生徒以外の色々な少年に対する暴行などの事実関係も明らかにした。
裁判で、元同級生だった少年(17歳)3人が法廷で証言した。
• 男子生徒へのいじめは、3年生のゴールデンウィーク明けから本格化した。
• 男子生徒が朝の自習時間、教室で暴行グループにいじめられるのは、ほとんど毎日だった。
• 自殺直前、学年主任が授業中、暴行グループの生徒に「◯◯(男子生徒の名前)君に謝ったか」と聞いていたことから、先生たちはいじめを知っていたと思う。
• 担任は何かあればすぐゲンコツが飛んでくる先生で、皆、体罰に怯えていた。目撃したいじめを相談できなかった。
また、男子生徒と同様、被告•いじめグループの1人からいじめを受けていた(男子生徒の遺書にも被害者として名前が挙げられていた)が、一方で霜出事件では加害者として暴行に加わっていた同級生も証言した。男子生徒への暴力、たかり等のいじめの実態や霜出事件の状況が明らかにされた。
• 2年生の時の担任は、男子生徒が暴行を受けている現場を目撃して、その場で「やめなさい」と言ったが、その後は特別な指導を行わなかった。
• この同級生がいじめに関わる家出の原因になった眉毛剃り落とし事件に関する校長ら教育委員会への事故報告書に記載されている学校側の指導は、実際には行われていなかった。
学校側は、同級生が男子生徒に暴力を振るっていたのは知っていたが、継続性はなく、いじめとは認識していなかったと証言した。
2002年1月28日、榎下義康裁判長はいじめを認め、被告の町と生徒5人に計約4480万円の支払いを命じた。過失相殺4割。
判決要旨
裁判では①自殺についての学校側の予見可能性、②両親と被告の過失の割合などが争点になっていた。
榎下義康裁判長は、
- 加害生徒は、少なくとも2年生2学期終わりごろから3年生2学期当初までの間、◯◯(男子生徒の名前)君に対し、長期間にわたり、生命および身体の安全に重大な危険を及ぼす暴行を反復継続して加えていた。この間、◯◯(男子生徒の名前)君の様子や行動等から精神的かつ肉体的にも次第に追い詰められていたことを認識していたと推認できる。
また世間では、中学生が熾烈な暴行等を反復継続して受けた場合に自殺した事例が報告されていたことなど併せて考慮すると、◯◯(男子生徒の名前)君の自殺を予見することができ、加害行為と自殺との間には相当因果関係があった。 - 確かに◯◯(男子生徒の名前)君は、自殺前日の夜まで、直接または間接的に知覧中の教員らに対し、加害生徒から暴行等を受けていることを申告していないが、(認定した)事実を総合すると、遅くとも3年生(96年)の6月ごろには◯◯(男子生徒の名前)君が加害生徒から暴行を受けていた兆候があり、教員らは暴行を受けていたことは予見可能だった。
教員らは暴行等の兆候を見過ごし、自殺までの間、速やかに実態を調査し、事実関係の把握に努め、加害生徒に適切な指導を行っていないから、◯◯(男子生徒の名前)君の生命や身体等の安全を確保する義務を怠った過失がある。
教員らが少なくとも加害生徒のうち3人による暴行の事実を把握したのは、自殺前日の夕方から夜にかけて担任が◯◯(男子生徒の名前)君の母親から受けた電話がきっかけ。その内容は単発的な暴行を受けたというもので、◯◯(男子生徒の名前)君の生命や身体に差し迫った危険があったことをうかがわせる事情は伝えられていない。自殺の前日や当日などの◯◯(男子生徒の名前)君の無断欠席を考慮しても、担任を含む教員らが、直ちに自殺に至ることを予見し、または予見できたとまでいうことは困難。従って、自殺と教員らの過失の間に相当因果関係を認めることはできない。知覧中は暴行等を防止できなかった限度で、国家賠償法の責任を負う。 - 原告(両親)は、自殺前日、3人から暴行を受けたことを◯◯(男子生徒の名前)君から聞くと、うち1人の生徒宅に電話をかけた。生徒とその両親が原告方を訪れ、生徒と◯◯(男子生徒の名前)君に形だけの仲直りをさせたことで、問題は解決したと考え、父親が学校に行くよう諭した。自殺当日の朝、原告はそれぞれ◯◯(男子生徒の名前)君に登校するように言った。さらに母親は、自殺の約1時間前、自殺場所付近で◯◯(男子生徒の名前)君が自殺の意思を表したにもかかわらず、冗談だろうと取り合わなかったことが認められる。
これらの事実は自殺の一因をなしていることも否定できず、死亡に伴う損害の公平な分担の観点からすれば、これらの事実を過失相殺に準じて斟酌するのが相当。過失相殺の割合は、本件一切の事情を斟酌すると、4割が相当。