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2005年(平成17年)9月9日朝、北海道の滝川市立江部乙小学校に通う女子児童A子さん(小学6年生•12歳)は、10日前にあった修学旅行の部屋割りや1学期の席替えの際、多数の児童に「女児の隣になった子がかわいそう」などと中傷されるなどのいじめを苦に「みんなに冷たくされているような気がした」「キモイと言われた」などと記載した遺書7通を残し、教室で首吊り自殺を図った。A子さんはその時は一命は取り留めるものの、意識不明のまま回復することなく2006年1月6日に多臓器不全で死亡した。
2006年10月1日、マスコミで女児の自殺と女児が残した遺書の内容が報じられた。報道された後、滝川市教育委員会に全国から「いじめを認めないのはおかしい」「原因究明が遅い」といった内容の批判が電話や電子メールで多数寄せられた。また、滝川市教育委員会が女児の遺書を1年以上にわたって公表しなかったことについて文部科学大臣伊吹文明は「子どもが訴えていたのを、公表せずに握りつぶすようなことはあってはならないことだ」と批判した。
2007年2月28日、北海道教育委員会は積極的に原因究明に取り組まず校長としての職務の義務に違反したとして、校長を減給10分の1(1か月)の懲戒処分とした。当時の教頭と担任教諭には「訓告」が相当として、滝川市教委に通告した。
2009年3月26日、札幌地裁(中山幾次郎裁判長)に於いて、自殺の予見可能性と行政の違法性、被害者•遺族の名誉を毀損した事実を認定し、滝川市と北海道に対し2500万円の和解金の支払いと全道の学校の教職員に和解調書の内容を周知徹底させるなどの内容で和解が成立した。
事件の経緯
A子さんは学校の成績は優秀で、下級生の面倒見も良く(校長談)、読書が好きで、手のかからない、ものわかりの良い子(遺族談)だった。6年生時の欠席は発熱時の2日だけで、将来の夢は薬剤師になることだった。
2004年度(5年生時)、バレンタインにA子さんは同級生のE男にチョコレートをあげたところ、「すごい気持ち悪い」「農協で買ったチョコレート」などと言われた。
5年生の課外学習の班分けで、A子さんは男子のグループに入っていた。
A子さんの母親は課外学習で男子のグループに班分けされたと知って「いじめられているの?」と聞いたが、「違うよ」と否定され、それっきりになっていた。その時、A子さんは同じ班の特殊学級の児童の世話をするために入っているという内容を話していた。そのため、母親は日頃のA子さんの言動からは友人関係に悩む様子は感じ取れなかった。
2005年4月(6年生時)、6年生は1学級で、女子14名、男子16名の計30名。ほとんどが幼稚園の時からの顔触れだった。
担任は10月開催の「国語研岩見沢大会公開授業者」に任命され、プレ授業も含め膨大な時間と準びに忙殺されていた。そのためか、6年生では家庭訪問は希望者だけになった。A子さんからは希望が出ていなかったので、実施しなかったという。また、修学旅行の打ち合わせも十分に行われなかった。旅行のしおりは配布されたが、担任からの説明や働き掛けもほとんどなく、計画立案も遅く、取り組みが遅れていたという。
7月7日、くじ引きによる席替えで、再度A子さんの隣の席になった男子児童に対し、E男が「かわいそう」と発言した。周囲も同調し、騒然となった。その場に担任もいたが、何も対応しなかった。その後、A子さんは担任に、E男たちから「ウザイ」と言われたと、この時のことを訴えたが、担任は何も対応しなかった。
修学旅行の班づくりの話し合いが始まった(時期不明)が、担任は児童たちに「修学旅行の班を自分たちで決めなさい」と丸投げした。結果、自主研修、ホテルの部屋割りは児童たちが自主的にグループを決めることになり、好きなもの同士になった。
7月14日、自主研修グループ分けの際、孤立していたA子さんは男子たちから「こっちに来い」と誘われて、自主研修のグループ分けが決まった。他に、男子のグループに女子1人が入るというような構成はなかった。
7月20日、5時限目の授業中、A子さんが担任教師に「友だちから避けられているみたいだ」と相談した。担任は教頭の聞き取りに「B子、C子、D子の3人の児童を呼び、多目的室でA子さんを含め5人で話をした。「お互い悪いところがあったから、これからは仲良くするんだよ」と双方に指導した。」と説明しているが、遺族には「女の子たちから『◯◯(A子さんの名前)とうまくいかない』と相談があった」などと逆の説明をしている。(後に発覚した)
8月18日、19日、22日、修学旅行の部屋割りを決める際、3回以上にわたりA子さんだけがどのグループに入るか決まらなかった。A子さんは他の班に「入れて」とお願いしに回ったが断られ、担任に相談した。担任が3人を呼び話し合ったところ、最終的に担任がA子さんをいじめグループと同じ部屋割りにした。B子は担任に「同じ部屋になっても口をきかなくてもいいの?」と言い、C子は抵抗したが、「どうでもいい」という言い方で最終的に承諾した。
8月31日~9月1日、修学旅行先のホテルでA子さんは教師の部屋を訪ねて、「みんなが窓に張り付いていて外の景色が見えないので、見せて」と言っていた。また、「部屋の鍵がない」と言ってエレベーターで1人上に行ったり下に行ったりを繰り返していた。A子さんはお土産を買うのも入浴も1人だった。寝る時には同室の他の4人とは布団を離して寝ていた。教師による各部屋の見回りもなかったという。
9月5日、女子児童は(修学旅行前に仲直りした?)同級生のD子に、自死を仄めかす手紙を渡していた。「首つり自殺する 学校? 自転車ゴムひも たぶん9月中」などと書いていた。「秘密にしてね」と書かれており、C子は担任ら学校関係者に相談しなかった。
D子はB子とC子に相談し、翌5日に女子児童に「死んでも友だちだよ」という返事の手紙を渡した。
B子は自分の母親に、女子児童からの手紙について相談したが、「死ぬと言う人は死なないから大丈夫」と言われたので安心し、女子児童に電話をしようと思ったが止めたという。
A子さんが自死を図る2、3日前の夕方、A子さんの母親はA子さんが自室で何か書いていたのを見ていた。
9月7日、A子さんは担任に手紙を渡そうとするが、「そんなものいらない」と手で払われていたのを下級生が目撃していた。
A子さんは授業中にカッターの刃を出し入れして手首に当てていた。加害児童3人を含む女子6人がそれを見ていた。
9月8日、台風のため学校は臨時休校になった。
A子さんは母親の布団で寝ていた。いつもより甘えた感じだったという。
9月9日朝、A子さんは10日前にあった修学旅行の部屋割りや1学期の席替えの際、多数の児童に「◯◯(A子さんの苗字)の隣になった子がかわいそう」などと中傷されるなどのいじめを苦にして、教室で天井に設置されたOHP機材に自転車の荷台用ロープを掛けて首吊り自死を図った。30分以上経ってから、登校してきた同級生らがぐったりしているA子さんを発見し、救急搬送されるが脳死状態になった。A子さんが搬送された病院の救命措置室前の廊下で、A子さんの大伯父に「何かあったのか」と問い詰められた担任は、「修学旅行のいざこざと席替えのいざこざがありました」と力なく答えた。
担任の机の上に学校や母親(37歳)、同居の大伯父(58歳)、友人3人宛てに「みんなに冷たくされているような気がした」「キモイと言われた」などいじめを示唆する計7通の遺書を遺しており、「私が死んだら読んでください」とのメモ書きがあった。
病院に詰めていた校長が夕方、一旦、自宅に戻ったA子さんの母親の前に現れ、A子さんの7通の遺書を持参した。「ここにいると聞いてきました。(遺書の内容を)見せてください」と言って、学校宛てと6年生宛て、母親宛ての遺書を母親の了解を得て内容を読み上げ、母親に渡した。学校宛てと6年生宛ての2通の内容を自分の手帳にメモした。
女子児童が遺した遺書
【学校のみんなへ】
この手紙を読んでいるということは私が死んだと言うことでしょう。
私は、この学校や生とのことがとてもいやになりました。それは、3年生のころからです。
なぜか私の周りにだけ人がいないんです。
5年生になって人から「キモイ」と言われてとてもつらくなりました。
6年生になって私がチクリだったのか差べつされるようになりました。
それがだんだんエスカレートしました。
一時はおさまったのですが、周りの人が私をさけているような冷たいような気がしました。
何度か自殺も考えました。でもこわくてできませんでした。
でも今私はけっしんしました。
私は◯◯だけにこのことを話そうと思いましたがその◯◯にせきにんを負わせるわけにはいかないと思いやめました。
(中略)
私は、ほとんどの人が信じられなくなりました。
でも私の友だちでいてくれた人には感謝します、「ありがとう。」それから「ごめんね。」
私は友だちと思える人はあまりいませんでしたが今まで仲よくしてくれて「ありがとう。」「さよなら」。
(後略)
【6年生のみんなへ】
6年生のことを考えていると「大嫌い」とか「最てい」と言う言葉がうかびます。
(中略)
みんなは私のことがきらいでしたか? きもちわるかったですか?
私は、みんなに冷たくされているような気がしました。
それは、とても悲しくて苦しくて、たえられませんでした。
なので私は自殺を考えました。
あなたたちは表ではわたしが死んで悲しいといっていても、
裏ではよろこんでいるのかもしれません。
もしも笑って、とてもよろこんでいるのなら、私はその人を
呪い殺しに行くことでしょう。
さようなら
◯◯(A子さんの名前)より
同日、学校は6年生の保護者を集め、緊急保護者会を開催した。
PTA会長は校長に「犯人捜しはしないよう」申し入れをした。
学校ではカウンセラーを常駐させ、教員同士が様子のおかしい児童はいないか、情報交換し合った。
A子さんが自死を図った後、親族が同級生らに聴き取りをした結果、「仲間はずれにされていた」「集団的な陰口があった」などの証言を得た。
9月11日、A子さんが自死を図った2日後、入院先の病院で親族が市教委の教育部長に遺書を見せようとしたところ、「遺書ではない。文書だ。見たくない」と言って断られた。(教育部長は後に「『後日複数で見せていただきたい』と伝えた」「原因究明のため遺書を見せてもらいたかったが、遺族に応じてもらえなかった」と説明した。)
9月12日、校長は6年生全員に調査用紙を配布し、A子さんの最近の生活状況などの調査を行った。その後、記載した内容に応じて聞き取り調査を行った。「死にたいと漏らしていた」「カッターナイフをカチャカチャ出し入れしたり、手首にあてていた」などの証言が多数得られたが、家庭訪問を含めた3回の聴き取り調査では、「◯◯(A子さんの名前)の趣味や得意だったこと」「変わったことや気になること」などを児童に尋ねただけだった。
同日、市教委は臨時で滝川市校長会議を開催し、事故の経過及び命の指導、相談体制の整備について協議した。
10月11日、A子さんが自死を図ってから1か月経って、9月9日に聞いた話の詳細を知りたいと思ったA子さんの親族が担任宅を訪問した。しかし、担任の説明は教頭からの聞き取りの結果と親族に話した内容が異なり、矛盾だらけだった。担任は遺族に「◯◯(A子さんの名前)から、(修学旅行の)部屋割りについての訴えはなかった」と話していたが、話を聞いた翌日、校長から遺族は「部屋割りで本人の方から担任に訴えがあったんです」と聞いた。
10月12日、A子さんの親戚から「手紙の内容について学校は知っているのではないか」といった問い合わせに対し、校長は「詳しい内容は覚えていない」と回答した。
小学校の校長室で遺族が遺書の一部を読み上げ、校長が内容をメモした。(後日、この面談を校長がこっそり録音していたことを認める。)遺書のコピーの提出を求められた遺族が、9月9日に校長がメモした事実を指摘すると、校長は「一切していない」と否定した。言い合いの末、校長は「メモは名前だけしかしていない。気が動転していた」と認めた。遺族はこうした対応に不信感を抱き、2006年6月まで遺書のコピーを渡さなかった。
10月17日、A子さんの親戚から「いじめがあったことを認めてほしい」といった要望に対し、校長は現在、事実関係を調査中であると回答した。
10月19日、学校は遺族に「本人のサインを学校、担任として受け止められなかった」という内容の文書を渡した。文書は学校側が事前に把握していたA子さんの様子について、「席替えのことや友人関係について担任に相談があった」「修学旅行の部屋割で(女児1人がどのグループにも入れないという)問題が生じた」ことに触れていた。しかし、同時に「担任の指導で解決された」と説明し、いじめは否定した。
11月4日、全校保護者会が開催され、現在の児童の生活の様子や学校の取組の経過などを説明した。校長は、手紙(遺書)には「遊んでくれてありがとうと書かれていました」などと説明した。保護者からは、学校は事前にA子さんが出したサインを把握できなかったのかなどの指摘があった。
11月22日、市教委は記者会見で、聞き取り調査を行った結果、現段階でいじめが行われていた事実と事故の直接的な原因と判断する事実は得られていないと発表した。また、遺書7通のうち、概要を把握していた遺書3通(A子さんの母親宛ての遺書1通を除く)の内容について「学校あてのものは、友だちが少なかったということと、先生方に迷惑をかけてごめんなさいという内容であること。6年生あてには友人関係の好き嫌いについて書いてあった」と明らかにした。
市教育長は記者会見で、報道関係者に「手紙の中には、友だちが少なかったこと、迷惑をかけてごめんなさいという趣旨のことが書かれていた」「友だちの好き嫌いに関するもの」「自殺の原因に直接結びつくようなことは書かれていなかった」「自殺の動機は判断できない」と発表し、「教職員や同級生に聞き取り調査をしたが、いじめなどの事実は確認できなかった」とした。
2006年1月6日、A子さんは意識不明のまま死亡した。A子さんが入院している120日間、同級生は1人も見舞いに来なかった。A子さんが亡くなってからも、遺影に手を合わせに来た同級生は1人(2007年11月5日に親同伴)だけだった。
1月10日、市教委はA子さんが死亡したことを公表し、事故の概要や遺書3通について校長からの報告を基に記載内容を明らかにした。市教委は「心のサインを掴めず、深く反省。本人や家族にお詫びしたい」としたが、「原因を特定する決め手は見つかっていない」と発表した。
4月、担任教師は夕張の学校に転勤した。担任教師がAさんの遺族宅を訪れることはなかった。
6月21日、市教委はA子さんの遺族の了承を得て遺書のコピーを入手した(一部除く)。
6月29日、道教委の担当者は、遺書のコピーを入手したが、上司に報告しないまま紛失したという。
6月、1月から6月まで4度の教育委員会議で、A子さんの自殺が議題に挙がったが、いじめの話は一度も取り上げられなかった。6月に入って、事務局から遺書の存在が初めて明かされたが、「他の生徒の名前も記されているため、公開しない」との説明があった。
9月、遺書の内容を問い糺す新聞記者に対して、市教委は「いじめという言葉が独り歩きして、第2、第3の『事故』が起きることは防がなければならない」「遺書から、いじめがあったとは言えない」と答えた。
10月1日、読売新聞が全国紙面で事件のことを報道した。
夜、取材に来たテレビ局記者に指導室長は、「手紙(遺書)にはどこにもいじめと書いていないのでいじめは確認できない」と話し、その様子が全国に放送された。
10月2日、(10月1日の読売新聞の報道を受けて)市教委は記者会見で、「遺書の内容に基づき調査したが、いじめの事実は確認できなかった。原因を特定できないので慎重になって発表しなかった。隠したわけではない」などと釈明した。いじめについては「原因とは特定できない」とした。
また、教育長は「児童の心のサインをつかむことができず、誠に申し訳ない」と謝罪したが、「ささいな言葉や行為であっても無視することはできないが、一方でその受け取り方は人によってさまざま。」「これまでの聞き取り調査では、死の直接的な原因は特定できない。調査ではこれぞというものは出てこなかった」として、いじめの存在を否定した。
市教委の指導室長は、「無視が即、陰湿ないじめに結びつくとは思わない。遺書の中身自体は学級でよくあること。原因は今も調査中」と話した。
遺書の内容で、A子さんが5年生時に「キモイ」と言われたことについて、市教委は「クラス全体から言われたとの事実は出ていない」とし、バレンタインチョコを渡そうとした同級生からの言葉と明かしたが、いじめには直結しないとした。
また6年生の時、「私がチクリだったのか差べつされるようになりました」とした内容については、(これは7月20日の授業中、A子さんがいじめの中心になっている3人のことを担任に訴え、担任を含め5人で話し合いをもったことを指す)、「担任の指導がなされ、解決したと受け止めた」とした。修学旅行で仲間外れにされたことについては、「どこの班に入るか迷った」だけだとした。
市教委の指導室長は、テレビ取材に「(遺書に)いじめという言葉は使っていないですよね。隠しているつもりはありません。慎重にやってきました」と話した。
市教委は事件発覚後も「自殺」を「事故」、「遺書」を「手紙」と言い換えていた。
10月3日、文部科学大臣は会見で、「子どもが訴えていたことを公表せずに握りつぶすことはあってはならない」と批判した。
10月4日、文部科学省は調査命令を発令した。
2006年10月9日までに全国から電話約1800件、電子メール約2800通の「いじめではないという判断はおかしい」「市の対応は遅すぎる」との抗議や批判が寄せられた。
10月5日、市教委は「遺書の内容を踏まえ、いじめであると判断する」として自殺の原因がいじめであると結論付けた。同日午後、滝川市長•田村弘、滝川市教育長、校長の3人が遺族に謝罪するためにA子さんの自宅を訪れたが、遺族から謝罪を拒否された。
市長は、「いじめの把握、対応に不十分さがあった。子どもの苦しみ、家族の心中を蔑ろにしてしまい、心からお詫び申し上げます」と謝罪した。謝罪後の記者会見で、教育長は「いじめが自殺の原因か」という質問に対して、「恐らくそうではないかと思う」と話した。しかし、マスコミから保護者会(2005年11月4日)での発言を問われた校長は、「自殺の原因がすべていじめにあるとは思えない」と話し、教育長に窘められた。
10月上旬、元同級生の中には「(報道について)俺たち、何もしていないのに悪くなっている」と話す者もいた。
10月10日、市教委から経過説明を受けて、「1年前のことをほじくり返してどうする」「自分の子どもの名前が書かれている親もいるだろう。遺書は見たくない」との意見が保護者の中で多数を占めた。
同日、市教育長は市議会総務文教委員会で「自殺の重大さを極めて深刻に受け止めている。社会的責任ということを考えて、責任を取らせていただく」と辞意を表明した。
10月14日、滝川市教育長は「自殺の重大さを真摯に受け止め、女児や遺族に心からおわびする。女児の住んでいた地域のみなさんに説明をした後、責任を取りたい」として退職金を返納して辞職した。また、この問題について不適切な対応をしたとして、滝川市は同年10月16日付で教育委員会幹部職員2人を更迭した上で停職2か月の懲戒処分にした。
10月16日、道教委は、道内の各市町村教委と道立学校長に、いじめに対する指導の徹底を求める通知を出した。
• いじめられた児童•生徒の立場になって問題に対応する。
• 学校の体面などを気にして、いじめを校内だけで解決しようとせずに、家庭•地域との連携や教育委員会への相談を行う。
• 教育委員は日頃から、いじめ問題解決の重要性を地域住民に知らせ、学校への指導や助言を行う。
などと通知した。
10月19日、文部科学省は都道府県•政令指定都市教育委員会の生徒指導担当者らを集めた緊急会議を開催し、「いじめの重大性の認識が薄れてきている」として、いじめに関する指導体制の総点検を求めた。また、文部科学省は各学校や教育委員会が総点検をする際のチェック項目を1995年以来11年ぶりに改定した。改定内容の中には学校と教育委員会が守るべきこととして、「いじめの事実を隠すな」という点を初めて明記した。
11月6日、文部科学省副大臣、初等中等教育局の児童生徒課長らが、実態調査のため滝川市を訪問し、小学校長や遺族らと面談した。
札幌法務局も事件の調査を行い、人権侵害事件と認定した。
11月17日、中学1年生の3日間連続で行われた道徳授業の3時間目「悲しい事故」と題された授業で、A子さんのことを取り上げた。「もう終わった話」「何を今さら」と不満を漏らした生徒もいた。一方で、「ごめんね。気持ちに気付けなくて。苦しくてつらかったよね」「すごく後悔してる。本当にごめんなさい。」「僕たちは過ちをおかしてしまった。僕たちは1年たっても、去年のことを責めています」「ちゃんと励ましてあげられなかった私が悪い」「苦しみと悲しみが消えません」とA子さんや遺族に送る言葉を書いた生徒たちもいた。
中学校は作文で、小学校時代を振り返らせたり、道徳などでいじめを題材にした授業をした。しかし、市教委内部にも「当時の気持ちや記憶が薄れてしまっている。事件後、すぐにやるべきだった」との意見もあった。
12月5日、市教委は自殺の原因や遺族への対応に対する不適切な点などを調査報告書としてまとめて発表した。
12月、事件をきっかけに、北海道教育委員会が道立高校や公立小中学校の児童•生徒約42万人を対象に、書面によるアンケート方式で、「いじめられたことはあるか」「どんないじめをしたか」などの調査を実施した。調査用紙を学校に送り、封をした状態で集めて、集計した。
2007年1月、北海道教職員組合の執行部が道内全21支部に対し、「いじめについては学校ごとに教職員が子どもの顔を見て対応すべき問題だ。調査は、いじめの実態を知らなければならない教師が目を通せない形で集めており、おかしい。数字が独り歩きしてしまう危険もある」として、いじめの実態調査に協力しないよう文書で指示していた事が報道された。
2007年2月28日、北海道教育委員会は積極的に原因究明に取り組まず校長としての職務の義務に違反したとして、校長を減給10分の1(1か月)の懲戒処分とした。当時の教頭と担任教諭には「訓告」が相当として、滝川市教委に通告した。いじめに絡む学園の問題で北海道教育委員会が職務義務違反を理由に懲戒処分するのは初めてのことである。
5月8日、札幌法務局は、事件発生当時の校長に対し、事件の反省を促す説示の措置を、滝川市教育委員長と2007年時点の校長に対し、再発防止を求める要請の措置を行った。
2009年1月、不登校親の会が中心となって、「滝川いじめ自殺裁判を支える会」が発足した。
民事損害賠償請求訴訟
提訴
2008年12月19日、自殺したA子さんの母親は「報告書は不十分。真相は明らかにされていない」「当時の担当教諭がいじめを見逃した」「自殺後の市教委の対応が不十分だった」などとして、滝川市と北海道に対し約7900万円の損害賠償を求めて札幌地裁に提訴した。
一審(札幌地裁)
2009年2月27日、札幌地裁(中山幾次郎裁判長)で第1回口頭弁論が開かれ、滝川市と北海道は事実関係などを認めた上で「自殺をほのめかす言動について児童間で行われており、教師がこれを事前に覚知することは困難だった」として請求の棄却を求めた。A子さんの母親は意見陳述で「事実を知ってあげることが、いじめに気づいてあげられなかった親としての償い」「いじめを苦にした自殺がなくならない中、いじめを無くすため、私と同じ気持ちの人を出さないため、裁判で事実を知ることが役に立ってほしい」と述べた。
2010年1月8日、第5回口頭弁論が開かれ、担任は証人尋問で、修学旅行や席替えでのいじめ、A子さんが同級生たちからのいじめを訴えたことについて、「忘れた」「指導をしたけれど覚えていない」を繰り返した。更に担任は「いじめや友人関係(の問題)もあったと思う。それ以外にも家庭のことなどの要因があったのではないか」として、自殺の原因は家庭にあると証言し、原告弁護士に根拠を尋ねられ、裁判長から「事実だけにしてください」と咎められた。また、担任は「女児の思いに気がつかなかったのは反省している。深く悩んでいる様子も見えなかった。女児と話す機会は多かった。もっと話を聞いてあげればよかったと、自分を責めた時期もあった」と述べたが、担任は最後まで自分の非を認めようとしなかった。
これに続いてA子さんの母親は「一昨日は娘の命日でした。母親であるわたしがいじめに気づかず、娘は自殺してしまった。娘に対して申し訳ない気持ちです。裁判で真実を明らかにして、いまだに続く、いじめ自殺をなくすためにいかしてほしい」と述べた上で被告側に再発防止策を表明して欲しいとの要望を主張した。
これを受けて札幌地裁は「再発防止策の点を考えると、和解以外に考えられない」として和解で解決を図る方針を示した。
2月17日、訴訟の進行協議が行われ、札幌地裁は原告と被告双方に和解案を提示し、原告は札幌地裁の提示案に従って和解する方針を明らかにした。また、滝川市もこれまでの主張を一転させて和解に応じる方針を固めた。
3月26日、札幌地裁(中山幾次郎裁判長)で原告と被告の双方で和解が成立した。
札幌地裁は原告側の求めに応じ、証拠に基づき和解調書を作成し、下記の事実認定をした。
①「自殺の予見可能性を認定」
②「行政の違法性を認定」
③「被害者•遺族の名誉を毀損した事実を認定」
原告は、裁判所の訴訟指揮の中で、滝川市•北海道と和解した。和解内容は下記の通り。
①滝川市と北海道は遺族に謝罪をする。
②和解金(2500万円)を支払う。
③全道の小中学校の教職員(数万人)に、地教委を通して和解調書の内容を周知徹底させる。
和解協議の中で、「遺族からのメッセージ」を和解調書に添付し、配布することになった。また、全道の公•私立高校の教職員にも同様に、周知徹底が図られることとなった。
④滝川市は、「広報たきかわ」5月号に和解骨子を掲載し市民に周知する。
⑤重篤な事件が起きたとき、道は地教委に対して、「第三者による調査」を指導する。
⑥その場合、被害者•遺族の意見を聞く場を設けることを指導する。
「別紙第1 和解の前提となる当裁判所の判断」(PDF:339KB)
「別紙第2 和解条項」(PDF:213KB)
「広報たきかわ 平成22年5月 滝川市 滝川市教育委員会」(PDF:130KB)
「遺族から 『教職員の皆様へ』」(PDF:131KB)
札幌地裁は「担任教諭らが女児を注意深く観察し、情報を共有していれば、いじめは認識できた」と担任教諭らの過失を認定した。その上で「いじめを認識していれば、自殺することも十分に予見できた。担任が同級生に適切な指導などをすれば自殺を回避できた可能性は十分ある」と結論付けた。
和解成立を受けて北海道教育委員会教育長は「事件直後に十分な対応をできず誠に遺憾に存じている。学校や市教委などと連携して、いじめの根絶に向け最善を尽くす」との談話を出した。
外部リンク
滝川いじめ自殺裁判を支える会
文部科学省「北海道滝川市における小6女子児童の自殺事件の経緯」
参考資料
“滝川市小6いじめ自殺事件” ウィキペディア 他