教育

脱学校原論⑥ 「学校化」した日本から脱ける

堀蓮慈

 イバン•イリイチの脱学校論が日本に紹介されたんはもう30年近く前の話や。それは脱病院論と対になって、近代社会を問い直すもんやった。ポイントは、学校に行かんと必要なことが学べん、病院に行かんと病気が治らん、いう思い込みによって、人間の自己学習力•自己治癒力が失われて、施設に依存するようになってしまう、いうこっちゃ。その傾向は社会のあらゆる部分に広まって、学校化社会が完成する。
 そないして自分独自の価値が信じられんようになった人間は、周囲に同調し、権威に従属するから、メディアによっていとも簡単に操作される。権力者はそういう大衆を育てたかったわけやから、学校化はみごとに成功したと言える。で、大衆社会の次に来るんはファシズムや。日本ではほぼその下準備ができあがってるから、小泉よりも弱者に優しいカリスマが出てきたら一発やろし、単に「時代の空気」だけでも十分かもしれん。この40年ほどを見てきて、ぼくはこの流れの逆転は不可能やと思う。とことん行くとこまで行かんと方向転換できん国やから、日本いうんは。
 日本人の多くは近現代史に無知やから(歴史を「暗記もの」にしてもた教育者の責任は大きい)、歴史から学ぶこともできそうにない。それに、今までこの論考で言うてきたように、今や物を学ぶ動機そのものが失われてる。学歴があったら将来ええ暮らしができる、いう人参をぶら下げて受験レースを煽ってきたが、それが難しくなってきたもんで、今度は「格差」の脅しの鞭で追い立ててるのが現状。そやけどそれも限界、というか、早い時期にレースを投げる若者が大量に出てきてるようや。どうせやっても見込みがないんやったら、やるだけアホらしい、いうわけやな。
 無意識にせよそういう戦略を取る気持ちはわからんではない。とりあえず生活はできるんやから。それは今までの蓄積を食い潰してるだけ、て言うかもしれんが、別にええんちゃう?豊かになるいうんは、あくせく働かんですむ、いうこっちゃから。今までやってきたことの是非は別にして、蓄積があるうちにそれを利用して別の道を模索した方がええ。どういう道?好きなことやって、貧乏でも幸せになる道や。金がないと不幸や、いうんは金に依存してるわけで、そんな不安な人生はない。
 かく言うぼくは、日本を見切ってオーストラリアへ行く。「逃げたらあかん」て言う人もおるけど、逃げるんは人間の権利やで。それに、単に逃げるわけやなしに、むこうに拠点を作って、ワーキングホリデーで来る若者を援助したい、いう気もある。今やちょっと気のきいた若者は海外に目を向けてる、いうんがぼくの印象や。英語なんかあんまりできんでも、働いてるやつはなんぼでもおるから、要はやりたい、いう気持ちだけ。少なくとも日本より息がしやすいし、希望が持てる社会や、いうんは、ぼく1人の意見やないと思うで。

脱学校の社会 (現代社会科学叢書)脱学校の社会 (現代社会科学叢書)

イヴァン•イリッチ(著), 東洋(翻訳), 小澤周三(翻訳) / 東京創元社 / 1977年10月20日
<内容>
現行の学校制度は、学歴偏重社会を生み、いまや社会全体が学校化されるに至っている。公教育の荒廃を根本から見つめなおし、人間的なみずみずしい作用を社会に及ぼす真の自主的な教育の在り方を問い直した問題の書。



Sponsored Link

続きを読む

Sponsored Link

Back to top button
テキストのコピーはできません。