保育•教育

オーストラリアから① 日本人はなぜ英語がヘタか

堀蓮慈

 ぼくは今、オーストラリアのゴールドコーストで学生やってるんやけど、ぼくが日本を出る直前、NOVAが営業停止処分を受けた。それにからんで「日本では英会話学校は衰退産業」という文章がネットに出た。つまり、やっても効果がないんで、多くの人が学習意欲をなくしてる、いうわけや。心当たりの人はおるかな?
 日本人の英会話能力が低いんには定評?がある。かく言うぼく自身、読めても聞き取れへんもんで、毎日TVでシャワーみたいに英語を浴びてるが、なかなか効果が上がらん。聞き取れんなら聞き取れんなりにコミュニケーションする方法もあるんやけどな。
 そういう総合的な英語によるコミュニケーション力をつける上での日本英語教育の最大のネックは、教室環境にあるように思う。
「間違えたら怒られる、笑われる」いうような環境では、「間違いを恐れる」という最悪の習性を身につけてしまうから。クイズみたいな試験問題を出すことも含めて、今の「受験英語」は、記憶力と努力の量を問うもんであって、実用性を考えてるとは思えん。そういう教え方をしてるんが、教師にとっては一番楽なんや。最近の子ども英語教室では、もっと楽しい教授法を採用してて、それはええと思うんやけど、学校が今のままでは結局同じことになるような気がする。
 ワーキングホリデーでこっちに1年くらい住んでも、英語がモノになる人は20%、いう話がある。まァ曲りなりにも外国で生活できた、いうだけで、多少の自信がついたらそれだけでもええようなもんやが、こっちでうまいことやってる人間いうんは、完璧主義やなしに「何とかなるやろ」いう姿勢で、一歩前へ踏み出す生き方をしてる気がする。日本でも実はそういう人間が求められてる部分もあるんやが、相変わらず教育の主流は「地道にコツコツ」やろ。それでこれからの時代に対応できるんやったらええけどな。
 ともあれ、若い世代が可能性を追求する上で、当面は英語いう道具を使わなしゃあない。日本国内だけで仕事するんやったら必ずしも必要ないかもしれんけど、それでは活動領域が狭うなるわな。英語なんかのために自由を制限されるんは悔しい、と思うんやったら、「自分に英語ができんはずがない」ととにかく思い込んで、あきらめずに学び続けることを勧める。何事も、アカンと思たらほんまにアカンようになるもんや。「英語ぐらいどうっちゅうことない」と思えるためには、片言でも何とか通じた、いう成功体験をつみ重ねるのが有効で、そのためにも海外生活することを勧めてるわけなんや。日本の学校の英語の成績が悪うても、臆せず海外に出て来る若者の勇気は尊敬に値すると思う。日本の学校はもっぱら勇気をくじくことに貢献してきた(そやから多くがサラリーマンになろうとするんや)が、それでもくじけん人間が未来を開くと信じる。

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