校門圧死事件15周年にあたって

弁護士 平栗勲
1990年7月6日、あの日からもう15年の歳月が流れようとしています。私は当時、事件の犠牲者石田僚子さんの遺族代理人として事件に関わって来ました。15年も経てば最早、事件の記憶も薄らいでゆくのが世の常ですが、この事件は決してこのまま風化させてはいけないと思います。当時、事件は、大きく世間の耳目を集め、多くの問題を提起しました。事件の原因を指導に熱心な高校教諭の行きすぎた行為によるものという表面的なとらえ方をしてはなりません。背景にある県教育委員会と校長を中心とした生徒管理教育の実態とその原因に目を向けなければなりません。このような管理教育は、現在、東京都における日の丸強制による管理教育の問題にもつながっています。戦後60年、思想的な右傾化は進み、教科書も作り替えられようとしています。教師から教科書まですべての学校教育を特定の思想のもとで管理していこうという最近の傾向はさらに強さを増しています。このような管理教育の犠牲となった象徴的な事件の一つが校門圧死事件なのですが、最近の状況はさらに悪くなっているように思われます。本年4月、JR西日本福知山線でJR運転士の無謀な運転により多くの人命が失われるという大事故が発生しました。事故の原因は急カーブでのスピードの出し過ぎとされていますが、その背景には、乗客の安全よりも、企業利益を優先したJRの運転士に対する管理指導が問題となっています。ことは、単に路線に新型ATS安全装置を設置して済む問題ではありません。JRでは信楽鉄道事故でも安全管理のあり方が問われましたが、なお問題は解決されず、今回の事故となりました。JR運転士への行きすぎた管理指導が運転士の無謀な運転を招いたことは明らかです。校門事件も単なる高校教諭の行きすぎた校門指導によるものとして済まされるものではありません。しかし事件から15年経った今なお事件の背景にある管理教育の実態は改善されるどころか、なお強さを増しているように思われます。最近は、外部の侵入者などによる危害から生徒を守るため、生徒の安全を強調し、これによる学校教育の管理強化を強める傾向があります。このような状況のなかにあって、なおさら校門圧死事件を風化させてはならないように思います。
JR福知山線脱線事故:2005年4月25日の記憶 あの日を忘れない>
JR福知山線脱線事故被害者有志(著) / 神戸新聞総合印刷 / 2007年4月1日
<内容>
2005年4月25日朝、JR福知山線尼崎駅付近で起きた列車脱線転覆事故は、多くの犠牲者を出す鉄道史上未曽有の大惨事となった。衝突時の惨状、死に直面した恐怖、生き残ったことへの心の葛藤、そして支え見守る家族の思い―あの日、あの電車に乗り合わせた乗客とその家族29名がつづる壮絶な記録。
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