兵庫県立神戸高塚高校校門圧死事件
Trending

寺田和弘監督 随想『校門圧死事件』

 作家の佐伯一麦さんが6月21日付「随想」で一生忘れることができない日のことを書いていました。私にとっては7月6日がその日です。1990年7月6日、神戸市西区にある神戸高塚高校で「校門圧死事件」が起きました。朝8時30分を「門限」として教師が鉄の扉を閉め、当時1年生だった石田僚子さんの命を奪った事件。私は神戸高塚高校の卒業生です。事件が起きる前に卒業していたため当日の様子は見ていませんが、教師による校門閉め行為は、私が在学した3年間、ずっと行われていました。

 校門を閉めようとする異様な空気を今も覚えています。戦地取材をしたことがない私にとって、人生で唯一「殺される」と思った瞬間です。殺気が漂っていました。しかし私を含め、生徒も教員も誰一人声を上げませんでした。私たちの誰かが声を上げていたら助かった命でした。

 なぜ声を上げることができなかったのか。さまざまな言い訳が脳裏を去来しますが、結局のところ「自分は助かればいい」という考えに行き着きます。ではなぜ「自分は助かればいい」と思ったのか。この原稿を書く中で考え続けました。が、その答えを私はまだ出せていません。ただ一つ断言できることがあります。声を上げなかった私は加害者の人であると。

 一方、校門指導を行う学校側は生徒を人として見ていなかったのではないでしょうか。いつか誰かが殺されるということは明らかでした。いま入館施設の問題が議論されていますが、根底にある意識は同じではないかと感じます。

 私の初監督作品「『生きる』大川小学校津波裁判を闘った人たち」では、誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)を受けながらも声をあげた遺族の闘いを描いています。彼らを突き動かしたのは真実を知りたいという思いと「二度と同じ過ちを繰り返してほしくない」という願いでした。14日から宝塚シネ・ピピアでも上映が始まります。ぜひご覧ください。

(ドキュメンタリー映画監督)

(神戸新聞 2023年7月7日)

続きを読む

Sponsored Link

Back to top button
テキストのコピーはできません。