追悼集会

石田僚子さん追悼第8回集会

 一生懸命俺はまじめにやってきた。学校につくしてきた。なんでよりによってこんなことが、と一番驚き打ちのめされたのは当の教師だったと思う。しかし教師からは生身の声が聞こえない。そして体制としての学校や教育委員会は問題の本質を省みることをせずにうやむやにしようとする。教師も生徒仲間も親たちも右なれいしていく。この腐敗は更にひどい。異議をとなえたり、真相究明をしようとすれば被害者の親だろうが何であろうがひどい時には職場や地域からも排除されかねない。内海さんの件も石坂早佑理さんの件でもそれが教師の体罰や叱責によるものか、あるいはいじめによる自殺であろうと何故か同じ軌跡を描く。これらのことに何かの欠如を感じる。それがなんなのか。おそらく人間的な罪の感情とか道義性の欠如ではないか。
 その昔といってもついこの間、日本は、いやわれわれは(正確にいえば上の世代の人たちだが、われわれに違いはない!)空虚な皇宮と「無能」な大本営のもとでナチスの犯した何倍もの殺戮をアジアで行いいまだそのことの対象化すらしていない。また謝罪も補償もしていない。それから解放された在日朝鮮人たちが行っていた自分たちによる自分たちの子供たちに対する民族教育を、われわれはアメリカ軍と一緒になって徹底的に弾圧した。それが戦後の教育の出発点だった。先生たちは二度と教え子を戦場に送るなということでずっとがんばってきたんだろうけどだんだん風化してしまったのだろうか。とまれ道義性のない風土、その上に建つどんな建物もまともではないだろうと考えるのは黒雲の出現で雨を予想するより造作ない気がする。心は知らず、人がよれば白は白でなく時として黒に、黒もまたしばしば白になる。これは怖いことだ。現代社会の消費文明や物質主義の洪水の中で子供たちはなにを拠り所として自分を確立していくのだろう。大人たちが溺れているのは勝手だが泳ぎの知らない子供たちはどうなるのだろう。
    先生たちは僕を 不安にするけど
    それほど大切な言葉はなかった
    誰の事も恨んじゃいないよ ただ大人たちにほめられるような

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