教育

心のノート、知ってますか?

弁護士 峯本耕治

 明けましておめでとうございます。
 前号では、原稿の締め切りに限界を越えて遅れてしまったために、遂に(以前にもあったような気がしますが)、予定されていた私の文章がないままに発行という事態に至ってしまいました。今回も私からの応答が全くないために、所さんが捜索願いを出しそうになったとか。いつもいつも迷惑をかけて申し訳ありません。応答はしなくても、常に気になっているのですが、ついつい甘えてしまって。今年は、少しはまし?にしたいと思っていますので、よろしくお願いします。
 さて、それでは本題へ。昨日(1月9日)の夕刊に、「政府•与党が教育基本法改正案の通常国会提出を見送った」という報道がされていました。「国を愛する心」や「宗教教育」の規定について公明党の抵抗感が強く、連立与党内で合意が得られないことが最大の理由のようですが、とりあえず、一息という感じです。教育現場が現実に抱えている問題や悩み、教育環境の改善のために何が必要かを考えると、教育基本法の改正が必要とは到底思えず、「もっと、ほかにやらなあかんことがあるやろ」と言いたくなってしまいます。ただ、この数年、色々な面で、国家主義的な傾向や保守的•古典的な家族像への回帰を求める動きが強まっています。男女共同参画の取り組みに対するバックラッシュ(反動•反発)が、その典型で、全国各地の男女共同参画審議会のメンバーとして条例やプラン作りに関与していたのですが、同じような反対の動きに出会いました。吹田市では、滑り込みセーフで何とか比較的良い内容の条例ができましたが、お隣の豊中市では議会における激しい反発で条例作りが事実上頓挫してしまっています。
 教育基本法の改正問題や東京都教育委員会をはじめとする日の丸•君が代の徹底化の動きは、そのような傾向•流れの学校教育版ですが、実は、ほとんど議論されないままに、学校教育の中にスーッと導入されたものがあります。
 それが前号から書こうとしていた「心のノート」です。これは道徳の学習指導要領に基づいて文部科学省が発行した道徳の補助教材で、2002年春に全国1200万人の小中学生(私立を含む)に配布されています。
 非行、いじめ、学級崩壊、切れやすい子ども、わがままな子どもの増大など、子どもが抱える問題が深刻化していると言われる中で、子供の心の教育のための副読本として作成されたもので、小学1•2年用、3•4年用、5•6年用、中学生用に分かれています。
 一般論としての心の教育の必要性自体は否定しませんし、もちろん、その内容には積極的に評価すべきものも多数含まれていますが、心のノートは、その共通の手法として、自分探し→家族愛→学校愛→郷土愛→愛国心という誘導パターンを用いています。たとえば、中学生版の「社会に生きる一員として」の章では、「あなたはいつも一人じゃないから」という大きなメッセージに続いて、「集団、そして一人一人が輝くために」「縛られたくないのはみんな同じ」「自分だけがよければいい••そんな人が多くなったと思いませんか?」「この学級に正義はあるか!」「考えよう「働く」ということ」「家族だからこそ好き」「ここが私のふるさと」「我が国を愛しその発展を願う」「世界の平和と人類の幸福を考える」というテーマが設定されています。
 当たり前といえば当たり前のことばかりで、しかも、視覚的に見やすく、質問形式等を用いながら、たいへんわかりやすく書かれていますので、問題意識がなければスッと読めてしまいます。しかし、注意して読めば、「個の集団としての(つまり、個々の構成員の幸福のための)家族、学校等の組織、社会、国家」という視点よりも、それらの集団に属すること自体に価値を置き、集団自体を大切にすること、伝統や既存のルール、法律や規則等を無条件に尊重することを求めた内容になっていることに気づきます。そこには、人権保障の視点、人間関係の中で自分自身を素直に表現するという視点や、批判精神や改革精神を育てる視点などは、ほとんど見あたりません。そのために、きれいには作られているのですが、たいへん気持ちが悪いのです。
 確かに、家族や友人関係、学校、社会、国家等の集団が大切であること、ルール違反や犯罪等が増大する中で秩序やルールを守ることを教えることは大切なことです。
 しかし、今の子どもたちが抱えている問題は、むしろ、人間関係の中で自分を素直に表現できない、人の評価やいじめ等を過度に恐れて人間関係にたえず気を遣わなければならない、そういう中で、人間関係が希薄化したり、経験が不足し、対人関係能力•ソーシャルスキルが急激に低下しているという点です。人間関係をうまく結べない。過度に傷つきやすい。ストレスをため込んで切れやすい。人の話を聞いて自分の意見と調整することができない。人の気持ちや感情を理解できずに自分の思いや欲求だけで行動してしまう。視野が極端に狭い。自分の思い通りにならないときにすぐに暴力的になる。これらの問題は全て、対人関係能力•ソーシャルスキルの低下の問題です。最近発生している事件や問題を見ていると、子どもたちだけの問題ではなく、わたしたち大人を含めた問題で、日本社会全体がどんどん未熟化しているような気がしてなりません。
 上に書いた「心のノート」の視点は、集団そのものを大切にすることを求めていますので、一歩間違えれば、今の子どもたちが抱える問題や弱点を一層エスカレートさせてしまう危険性を持っています。
 今の教育に求められているのは、一人一人が人間関係の中で自分を素直に表現できる力、自分の意見をきちんと言って、人の意見を聞いて、調整することができる力、ストレスや葛藤•紛争をコミュニケーションで解決することができる力を育てることではないでしょうか。そういう力が育つ中から、集団や仲間を大切にする思いや公共心、社会的な連帯意識が生まれてくるのだと思います。
 また、子どもの問題の背景•原因として家庭の崩壊や家族機能の低下が言われていて、心のノートでも家族を大切にすることが強調されています。しかし、虐待やネグレクト•DV、しつけ能力の低下などの問題も、家族を構成する個々人の対人関係能力の低下の問題に他なりません。また、家族崩壊や家族機能の低下の背景には、個々の価値観が多様化する中で、たとえば男女の役割分担を前提とするこれまでの固定的な家族観を維持することが困難となっていることや、一定の家族観を前提とする現在の福祉制度等が、家族の変化についていけていないなどの問題があります。
 このような問題は、心のノートがいうように家族を抽象的に大切にすることを教えることによって克服できるものではありません。むしろ、一定の家族観の押しつけは、ストレスを増大させることにつながる危険性があります。
 まだまだ言いたいことがあるのですが、長くなってしまいましたので、終わりにしますが、とにかく、「なんかズレていて」、「なんか気味の悪い」、心のノートです。皆さんも一度読んで見て、感想を聞かせてください。

心のノート 小学校1•2年 | 文部科学省
心のノート 小学校3•4年 | 文部科学省
心のノート 小学校5•6年 | 文部科学省
心のノート 中学校 | 文部科学省


子ども虐待と貧困―「忘れられた子ども」のいない社会をめざして子ども虐待と貧困―「忘れられた子ども」のいない社会をめざして

清水克之(著), 佐藤拓代(著), 峯本耕治(著), 村井美紀(著), 山野良一(著), 松本伊智朗(編集) / 明石書店 / 2010年2月5日
<内容>
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<内容>
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スクールソーシャルワークの可能性: 学校と福祉の協働•大阪からの発信スクールソーシャルワークの可能性: 学校と福祉の協働•大阪からの発信

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<内容>
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