高塚門扉通信合本について

所薫子
石田僚子さんが亡くなられてすぐ在校生の保護者でない人たちが、教育問題で裁判を起こすことができず、「神戸高塚高校校門改修公金支出賠償請求訴訟(門扉裁判)」を森池豊武(原告代表)はじめ曽我了二他十数名の原告と金子武嗣弁護士を弁護団長として5名の弁護士による行政訴訟が起こされました。
『兵庫高塚門扉裁判ニュース』を事件当初から曽我さんが、不定期で発行していました。当時私は賛助人で、直接繋がりが無かったため当時の通信はありませんが、手元にあるものの中から通信読者で選び、合本として載せました。どれも削りがたく全部を合本としたいところですが、六法全書くらいの厚さになり、印刷代も送料も相当なものになります。
30年前にはパソコンも手元になく、コンビニも無く、ワープロ、感熱紙FAX、手描き、手書きで、消えてしまっているものもありました。鋏で切ったものを糊で貼ったり、テープで貼ったり、アナログ作業で、変色していました。当時は業者への印刷を頼むと高額で、印刷代削減のため「ちびくろ保育園」の印刷機で印刷をしていました。硬い通信や文章の多い時代、何とか読んで、僚子さんのことを知ってもらいたいと、素晴らしい子どもたちの絵、いしいひさいちさんの漫画、又毎回峯本耕治弁護士の文章に助けてもらいました。
『追悼10周年記念文集』作成では、同保育園で汗をかきかき発起人、賛助人が手作業で制作しました。追悼9周年には会消滅の危機がありましたが、賛同する友人たちが助けてくれました。高速印刷機のあるケーキの店ボンポアン経営者の佐田宏子さんが全面的に協力してくれ、刷り上がったものは「太陽の子保育園」で知り合った友人たちが、折り作業や郵送作業を手伝ってくれました。この15年くらいは「神戸フリースクール」の皆さんに手伝っていただき、場所もお借りして発送作業を続けることができました。
今回の合本制作では「追悼10周年記念文集」発行の新聞記事を読んで、当時すぐ問い合わせてくれたSさんが、裏写りしたり、かすれたりして読み辛い通信を大変な時間をかけデータ処理してくれました。パソコン、携帯電話、スマホ、印刷データ入稿印刷、通信の変遷がこの時代の変遷でもあります。
皆さまのお陰で1999年から2008年まで年4回発行、2009年から2012年まで年3回、2013年から今回まで年2回発行を続けることができました。内容が多岐にわたりますのは、会員の方々がそれだけそれぞれのことに関わっているからです。素人の編集で読みにくく大変見苦しい点が多々あったかと思います。お許しください。長い間ありがとうございました。
今、新型コロナウィルスが猛威を振るっています。まったく先が読めません。こんな時代が来るなんて、誰が想像できたでしょうか。タイムスリップするように30年前、石田僚子さんの生きていたその時まで、ひも解いてください。
変わらないのは、生命の大切さです。
そこから見れば、見えてくるはずです。
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