石田僚子さん追悼10周年記念文集

「校門圧死事件」から『親の教育権』を求めて

これは最初は校長に聞かせて欲しいとお願いしたものが、拒否されたため、兵庫県の公文書公開条例の活用と不服申し立て、そして裁判闘争に発展していったものである。この裁判闘争の中から、親には自然権としての「親の教育権」があり、当然その中には「知る権利」も含まれると言う理論があることを知らされ、それを武器として闘っていくことになった。
 当時は、子どもの権利条約の批准運動が取り組まれており、子どもの権利条約からの親の教育権の検討がなされるようになっていた。しかし、主要な考えは、民法820条の「親権を行うものは、子の監督及び教育する権利を有し、義務を負う。」に根拠を置いたもので、憲法の中に権利を読み取る主張者は少なかった。
 このような状況のなかで1994年3月に損害賠償請求裁判を神戸地裁に提訴した。理論的には具体的な県の公文書公開条例の「親の知る権利」に根拠を置いたものであった。だが、何回かの訴状検討会のなかで、弁護士により、結城忠氏の著書「学校教育における親の権利」(海鳴社1994年)が我々にもたらされた。ここで一気に「親の教育権」に根拠を置いた「親の知る権利」を主張した訴状に発展させられた。この書物の発見により、理論的根拠になりそうな書物を探してみると、少ないなかでも、「父母の教育権とPTA」研究会を軸にされていた今橋盛勝氏が雑誌「世界」に「父母の教育権」の根拠を発表されていたり、結城忠氏が季刊教育法で「親の教育権」についての理論を展開されていた。後には、全国PTA問題研究会(現在は教育情報の開示を求める市民の会)の山口さんや東京の目黒さんから理論や資料を送付していただき、様々な著書があることも判明した。
 昨年の11月12日付けで、高塚高校事件を考える会の有志で訴えていた、親の教育権が憲法に保証された権利であると主張した裁判は最高裁で敗訴になった。しかし、大阪高裁で闘っているとき、神戸地裁で捨てたとされていた「全体保護者会の録音テープ」が元PTA役員によって保管されていることが分かり、文書提出命令で我々にもたらされることになった。反訳書を証拠書類として提出したことから、裁判所は和解の提案をした。兵庫県は応じなかった。それで、判決となり、大阪高裁も敗訴になった。しかし、どうしても欲しかった録音テープを我々は入手することができた。闘ってこそ、勝機はあると痛感した。約6年の闘いだった。
 石田僚子さんが亡くなられて今年でまる10年になる。10年前に僚子さんの犠牲で学校がおかしいと気づいた人達が始めた運動が、今は小川ぐらいかもしれないが、着実に流れになってきている。運動がこの流れになるのに、私たちも少しぐらい役立ってきたと感じている。それは、10年前では想像だにできなかった程、教育に関する裁判が前進していることからもうかがえる。

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