学校事故•事件

教師と子どものボタンの掛け違いが子どもの人権侵害を生む?!

弁護士 峯本耕治

1 なぜ、学校における子どもの人権侵害が起こるのか?

 高塚高校事件から、もう13年も経ったのですか。事件の直後に、瀬戸則夫弁護士と一緒に高塚高校に行き、2人で門扉を動かしてみたり、事件の状況を再現してみるなどの調査を行ったことを、今でも鮮明に思い出します。
 あの事件のことを考えると、やはり、何故、あのような事件が起こってしまったのか?あれから、学校は何か変わったか?と考えてしまいます。
 必死になって登校しようとしていた子どもを教師が拒否し、門扉に挟んで死亡させてしまうというのは余りにも異常な事件です。どうして、そこまでの人権侵害が学校で起こってしまうのでしょうか?あの事件以降も教師の体罰問題や厳しすぎる校則問題など、色々なケースにかかわりましたが、学校という子どもたちの教育の場で、どうして、子どもの人権侵害がこれほど起こるのか、もっといえば、教師と子どもの関係が何故こんなに悪くならないといけないのか、ということが、いつも疑問で仕方ありませんでした。
 学校は子どもの成長•発達を保証する教育の場ですから、本来、教師と子どもが対立をしなければならないような場所ではありません。教師も子どもから信頼されたい、好かれたいと思っていますし、子どもたちも、心の底では、教師とのつながりを強く求めています。それなのに、どうして、これほど関係が悪くならないといけないのでしょうか。特に、中学生くらいになると強い教師不信を抱えた子どもが本当にたくさん生まれてきていて、それが子どもたちの問題行動を一層エスカレートさせています。
 イギリスの学校でも教師•学校と子どもとの間にはもちろん色々な問題が発生します。懲戒に関しては、日本より厳しくて、たとえば小学生でも退学処分が認められています。しかし、一般的な教師と子どもとの関係を見たときは、日本のような重苦しさはありません。

2 弱すぎる個別教育の視点と頻繁に起こるボタンの掛け違い

 一体何が違うのでしょうか。日本の教師は、本来家庭がするべきしつけを含めて、色々なことを抱え込みすぎているということも一つの理由だと思います。しかし、一番の理由は、日本の教育が集団教育の面を重視しすぎていて、「一人一人の子どもを大切にする」、「一人一人の子どもの成長発達を保証する」「一人一人の子どものニーズに応える」という、個別教育の視点が弱いことにあると思います。
 個別教育の視点の弱さは、授業の方法や、欧米では一般化しつつある「個別教育プラン」や「特別な教育的配慮が必要な子どもの教育システム」がいつまで経っても導入されないなどの教育面にも現れています。
 生徒指導の面でも、集団としての秩序•ルールを守らせるという点が重視され、個々の子どもの抱える問題の背景や原因を踏まえた対応(子どもの教育的•福祉的ニーズに応える対応)ができず、どうしても管理的な指導方法が中心となってしまいます。
 学校のケースに関わっていると、「教師が子どもを個別に見ることができない」、「個別に対応することができない」ことによって、教師と子どもとの間で頻繁にボタンの掛け違いが起こっていることが判ります。このボタンの掛け違いによって、子どもと教師の関係は簡単に悪化し、子どもの問題行動はエスカレートするし、教師によって人権侵害となるような極端な対応が行われやすくなります。
 たとえば、虐待やDV等が原因で家庭の中で居場所を見出せない子どもは、学校の中で居場所探しを始めます。授業中に落ち着きがなく、たえず教師や友達にちょっかいを出す。教師にすぐに反抗的になる。何かあったら、すぐに暴力をふるう。そのような問題行動という形で、居場所探しが行われることが少なくありません。そんなときに、問題行動の背景や原因を意識せずに、表面的な指導を繰り返していても、子どもは学校での居場所を失っていくだけで、落ち着くことはありません。教師との関係は益々悪くなっていきます。ダメなことはダメという一貫した指導は必要ですが、同時に、問題の背景や原因を意識して、子どもに対する合理的な対応を考える「個別の視点」が本当に重要になります。
 また、最近経験したケースとして、クラスの中にいつも宿題をしてこない子どもがいて、教師が注意を繰り返していたら、激しく教師に反発するようになり、学級崩壊につながっていったというケースがありました。「宿題をしてこないから注意する」というのはそれはそれでよいのですが、家庭訪問に行ってみると、家が狭くて、幼いきょうだいが多く、家で宿題をやる場所がない。しかも、その子どもが、幼いきょうだいの面倒を見ているので、宿題をやる時間もないということが判りました。そういう背景や原因がある時に、「宿題をやってきなさい。どうしてやってこない」という指導を繰り返すことはナンセンスです。教師が「何度、注意してもやってこない不自然さ」に少しでも早く疑問を持ち、家庭訪問や子どもから落ち着いて話を聞いたり、他の先生から情報収集するとかして、その原因に気づくことができればいくらでも合理的な対応方法があります。たとえば、放課後30分でも宿題を静かにやる場所を確保してやるとか、その合間に教師が声をかけてやるとかすれば、簡単にボタンのかけ違いを防ぐことができます。それどころか、子どもの教師に対する信頼感が高まることになります。

3 求められる学校教育サポートシステム

 学校では、教師も子どものことを思い、また、子どもも教師との良い関係•つながりを求めているにもかかわらず、本当に頻繁に、このようなボタンの掛け違いが発生しています。そして、ボタンの掛け違いが重なると、子ども達の対教師不信、時には親の対教師不信が深まり、どうしようもない状態に陥ってしまうことが少なくありません。小学校時代に培われた対教師不信が、中学時代に爆発し、それが子ども達の問題行動を激しいものにさせている例は、いくらでもあります。
 1998年にイギリスから帰国してから約5年間、子どもの人権問題に取り組む中で、「こういうボタンのかけ違いをなくしたい」、つまり、「学校•教師が、子どもたちを、もっと個別に見ることができるようにならないか(=教育的•福祉的視点をもっと持つことができるようにならないか)。それを、少しでも楽に、合理的にできる学校システムとして、どのようなものが考えられるか」という思いで、「教師•親•子どものための学校教育サポートシステム研究会(TPC教育サポートシステム研究会)」を作って活動してきました。
 教職員、スクールカウンセラー、教育委員会、教育センター、児童相談所、大学教員、医師、保護観察官、弁護士等の様々な機関•専門職の人に参加してもらって、月1回の研究会活動を行っています。
 「子どもをなかなか個別に見ることができない」「どうしても集団の管理的視点が強くなる」というのは、いわば日本の文化のようなものです。学校だけでなく、本来もっと個別的な視点が求められるはずの児童養護施設や少年院等の矯正施設においてすら、個別教育の視点は弱く、同じような問題が頻繁に発生しています。
 また、個別に見ることができない原因として、クラスや集団のサイズが大きすぎて、個別に見ようとしても、それがしにくい等の現実的問題もあります。また、学級王国という言葉に象徴されるように、ついつい教師た一人で抱え込んだり孤立してしまって、悩みや不安を共有して、チームとして、学校として一緒に問題に取り組むという雰囲気になりにくいという問題もあります。
 ですから、単に意識改革が必要だと言っているだけでは何も変わりません。それで、たとえば、校内システムとしてのケース会議(事例検討会議)の活用、関係機関の連携システムや、スクールソーシャルワーカーやスクールローヤー等の人材の確保など、教師が少しでも楽に、子どもたちを個別に見て対応できるサポートシステムが不可欠だと思っています。

4 変化のきざし

 あくまでも大阪の雰囲気ですが、過去10年位の間に、生徒指導に関する考え方もかなり変化してきているように感じます。家族の抱える問題が複雑多様化し、子どもや親の資質も変化し、また、学校が過去に持っていた抽象的な権威も崩れる中で、これまでの管理的な生徒指導では問題に対応できないという意識が、現場の教師や教育委員会の中でも相当強く生まれてきています。子どもたちに個別に対応するためのシステム作りも少しずつですが始まっています。
 全国的に見ると、信じられないような管理教育が依然として行われている地方が少なくありませんが、現在の学校が抱える閉塞感の中で、10年位で見ると着実に変化していくのではないかと思っています。
 高塚高校事件は、一人一人の子どもを見ることなく、集団としての秩序やルールを重視する学校、そして教師の視野の狭さが行き着いたところに発生した事件だと思います。
 二度とこんな事件を起こしてはいけないことはもちろんですが、そのためには、やはり、「集団を重視する学校文化」から、「個々の子どもを大切にし、その成長発達を保証する学校文化」に変えていく、粘り強い、そして、実践的な取り組みが必要だと思っています。
 ちなみに、前に書いたTPC教育サポートシステム研究会を今年度中にNPO化しようと思っていますので、また、応援をお願いします。


子ども虐待と貧困―「忘れられた子ども」のいない社会をめざして子ども虐待と貧困―「忘れられた子ども」のいない社会をめざして

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<内容>
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子ども虐待 介入と支援のはざまで: 「ケアする社会」の構築に向けて子ども虐待 介入と支援のはざまで: 「ケアする社会」の構築に向けて

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<内容>
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スクールソーシャルワークの可能性: 学校と福祉の協働•大阪からの発信スクールソーシャルワークの可能性: 学校と福祉の協働•大阪からの発信

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子どもを虐待から守る制度と介入手法―イギリス児童虐待防止制度から見た日本の課題子どもを虐待から守る制度と介入手法―イギリス児童虐待防止制度から見た日本の課題

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