いま、沖縄から-④『つどう•いのち』

平井真人 (染色家)
今年1月末、茅葺き•ゆがふ舎の「地域文化遺産研究会」研修ツアーを沖縄•宮古島で行いました。きっかけは昨年、僕が担当している芸術系大学通信教育「芸術学」の沖縄スクーリング授業最終日に学生から卒業後も沖縄研修を!と懇願されたのです。
授業の研修先で彼らはイメージ化された沖縄と全く違う根源的な「場」のエネルギーや技に生きる人々の逞しさに心が動きました。そして、翻弄された歴史や厳しい自然から先人たちが学んだ知恵で形創られた沖縄を「魂•いのち」が集う「場」と発見し、より深い沖縄への思いが要望になったと思います。
宮古島は僕が1978年沖縄に移り住む前に大変お世話になった人情豊かな美しい島です。今回、32年振りに見る光景に不安が少しよぎりましたが、町の素朴さや美しい風景は変わらず、人情は豊かなままでほっとしました。とりわけ隣の伊良部島の海で悠然と泳ぐ海亀の光景や点在する地下数十mの竪穴洞窟や、そこにある3m以上の石筍に「いのち」を想い、時空を忘れるほど自然への新たな畏敬を感じました。
一方、工芸品の宮古上布にも新たな想いが芽生えました。宮古上布は16世紀琉球王朝時代に人頭税の上納布として人々がいのちを擦り減らしてまで技を駆使して織った布です。材料の苧麻を栽培し、それから髪の毛程の細い糸を何千本も採りだし、紡ぎ、染め、織る工程に気が遠くなります。当時、強いられて織った宮古上布を現在に伝えられている事を想う時、上布にも多くの先人の「いのち」を診て、伊良部島の自然と同じく新たな畏敬の念を抱きます。現在でも年に一人平均2反程度、場合によっては1反しか織れない布です。
現在、私たちの多くは、過去の過酷で辛い「負」の歴史やネガティブな事象を避けて暮らしたいと考えますが、地球上の大半は厳しい暮らしの日常です。沖縄は65年前、日本で唯一の地上戦があり、400年前は薩摩の侵略、その前は中国との冊封関係云々、そして現在も米軍基地の占拠でいつも大局に翻弄され、回避できない状況下の「負」の歴史と対峙し暮らしています。
先人たちも過酷で厳しい自然と対峙して生き、その癒しを人と自然に内在する「いのち」に見出し、海の彼方へのニライカナイに祈ったに違いありません。今の沖縄は先人たちが対峙し、翻弄されて集った「いのち」の上に鎮座している様に思うのです。
それら、いのちが集う「場•沖縄」に今回参加した人々の「いのち」も集い明日へのエネルギーになったと想いました。「つどう•いのち」と共に明日を生きたいと思います。
一年間、拙文を読んでいただき誠に有り難うございました。了
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