石田僚子さん追悼にあたって [講演]

衆議院議員 保坂展人
皆さんこんにちは。ご紹介頂いたとおり高塚高校の校門の前には今朝ですね─実は私も遅刻しそうになりましてですね、仕様がなくてタクシーで1分半前に間に合ったということでした。自分が遅刻するっていうことは考えてもみませんでしたけれども。
1990年7月6日に起きた事件ですけれども、当時私は子どもたちが読んでいる「明星」という月刊の雑誌と「週刊セブンティーン」という雑誌に、ほぼ両雑誌とも10年近く毎月毎週学校で起きた事件レポートを書き続けているという立場でした。何故そういう仕事を始めたのかを一言だけ言いますと、私自身が中学校2年生ぐらいで学校と大変折り合いが悪くなった。千代田区立麹町中学校という東京のど真ん中にある学校なんですが、そこで学校がおかしいんじゃないかと。あるいは特に東大が入学試験が無くなるぐらいに安田講堂の攻防戦などがあった激動する時代に私は中学生でしたからいろいろ考えるところがあってですね、学校の中で文化祭でいろいろ展示をしたりといろんなことをやっているうちに学校の先生とだいぶ衝突をしましてですね、中3の時にはほとんど授業には出して貰えなかったですね。保坂少年が授業に出て来ると次々と質問攻めで授業が進まないと。仕様がないので別室に呼ばれてですね、延々と。麹町中学というのは1,500人生徒がいましたから、先生方も60人以上いたんですね。ですから順番で保坂少年説得ということで。大体授業にもほとんど出なかったんですね。したがって私が授業を受けたのが中学2年までと。大体8年間ー義務教育の途中までを受けたということになりますけれども、その後は言わば学校に執拗に物言いをする少年というのはやはり校則に違反をしているし全体の秩序を非常に乱すということでですね、内申書にその旨を書かれたわけですね。「現在指導に手を焼いている。」と。たくさん書かれました。そして受けた学校5つが不合格になった。まあ内申書を見ながらですね、例えば「集会やデモに参加したり、あるいは学校でビラを撒いたりしたのか?」と。「何でそういうことをしたのか?」と言われることが私の面接だったんで、全てそういう面接があった学校は落ちてしまったんですがー。最後に都立の新宿高校の定時制というところに入って定時制高校の生徒となりました。しかし、この定時制高校もですね、なかなか活躍しまして、生徒会でいろいろバリバリ活躍し過ぎて学校に住み込んだりしたこともありましてですね、これは大変自由な学校だったんですが、まあ責任を取ってですね、やっぱり辞めざるを得なくなったということで。定時制高校中退ということです。衆議院選挙の時期が近いということでですね、各予定候補の経歴を新聞社の皆さんが調べに来ました。「保坂さん、本当に中退したのか?」と。「学歴詐称じゃないか?」と言うんですね。本当に定時制高校の中退を詐称するメリットっていうのがあるのかどうか知りませんけれども、「証拠は何かないのか?」と言われまして戸惑いました。このことが「内申書裁判」という裁判になりまして、16歳から始めてー未成年ですから親が原告代理人になりーそして21歳の時に東京地裁の法廷で全面的な保坂少年の勝利という意外な判決が出た訳ですね。当時、讀賣新聞などは「東京地裁、中学生の政治活動を認める!」とこういう一面記事でですね。「何だ、それは?」という感じで皆さん驚いたんですが。その後控訴されましてですね、東京高裁ではまあ逆転敗訴と。それで1988年ーもう私が32歳になっていましたけれどもー最高裁では上告棄却ということになりました。唯、内申書に生徒に不利なことを殊更にピックアップして書いて不合格を狙うということはできなくなりました。全国で。それは一審判決が出た時以降はされてないはずです。それからもう一つは「内申書」という名前がそうなんですけれども、日本社会には様々な古い言葉が残っています。例えば検察庁に何かものを言う時には「上申書」とかですね。内申書っていうのは、本人情報を本人に決して漏らすことなく役所の間で遣り取りをするということに近いニュアンスがあります。しかし、内申書は本人情報だから本人に開示されて然るべきではないか、これもやはり大分広まってきたと思います。そういう裁判をやっていた関係で、教育問題や内申書に関わって発言をしたり、あるいは取材をしたりということを続けていて、子どもの雑誌でいろいろレポートをしていました。時あたかも校内暴力盛んな頃でした。いじめの問題とか校則の問題ー全国でいろいろ報告をしたり取り組んできて、そういった行動の中から「元気印」っていう言葉が生まれたんですね。
高塚高校の話に入りたいと思いますが、あの高塚高校の事件ーこれが大変衝撃を呼んだのはですね、非常にわかりやすい光景ーシーンと言いますか、校門で生徒が圧死するー「校門圧死事件」というふうに石田僚子さんが亡くなった事件のことは呼ばれました。大概の方が、相当お年の方も含めて日本の中学校に通った体験を持っています。そのうちのかなり多くの方が校門をイメージできます。門扉です。東北地方に行ってですね、この話をすると、「いや、ピンとこない。」という話を聞きましたね。そもそも東北ー山形、秋田では要するに門扉がないんですね。門があるだけで、所謂こういったものが当たり前で、おらが村の学校なわけですから、そんな遮断するものなどないと。言うところはピンとこないんですけれども。私などはですね、自分の通った麹町中学というのにも全く同じ鉄の黒い門扉がありましたからイメージができるんですね。そしてそこで圧死するということはどういうことだろうか?とてつもないことが起きた、信じられないことが起きたということで「すぐさま現場に行かなければ!」と現場に行きました。私がニュースを聞いた段階で感じたのは、自分が通っていた学校の校門の門扉っていうのは重かったので、相当ギューッと押してもガラッガラッと動くというふうな。人間っていうのはですね、結構、私の体験、自分の記憶を頼りにイメージを作っていく存在なんですね。だから私から見れば門を押した先生というのは全身の力を入れてあの門を(自分の知っている門は重いわけですから)相当の力を入れて押して行ったと。多分そんなに速くは動かない。どうやって挟まれるっていうことが起きたんだろうかと疑問だったんですね。それであの事件から土日を挟んで7月9日ー月曜日の朝に校門に来ました。校門指導の先生が門の前に立っていてですね、チョークで彼女が倒れた跡が生々しかったですね。しかし、私はそこで2つの光景を見たんですね。1つは眼を腫らしながら花束を捧げる生徒の姿です。大変多くの花束がもう既にありましたし、また、持ってくる子たちもいた。生徒指導の先生が女の子たちに「ちょっとこれ、花瓶に入れてね。飾ってあげてくれ。」と言って、女の子たちが花瓶に花束を挿していました。もう1つの光景というのはですね、その日は期末テストだったんですね。したがってですね、ご存知のように西神中央駅から高塚高校までの道というのはほぼ真っ直ぐですね、多少起伏はありますけれども。あの歩道を歩いて来るわけです。しかもその歩道は3人ぐらいでしょうかね、そんなに大勢一度に移動できないわけですから。頭の方が遅いとですね、後ろの方もスピードを上げるわけにはいかないですよね。ずーっと人間の束みたいな形で生徒たちが来る。その時に手に手に何か持っているんですね、生徒さんたちがこうやって。何かと思ったら、やっぱり期末試験に備える直前暗記ですね。テストの前にプリントを見る。そしてずーっと見てましたらチョークの跡もわからずに踏んでしまうーそういう姿でした。校門指導の教師が、やっぱりそれはまずいっていうんで踏まないように誘導してるっていうんですかーそういう姿を見ました。花を捧げる子どもたちと、そういった直前のプリントを暗記して校門の中に吸い込まれて行く子どもたち。そしてチャイムが鳴り終わると、ほとんどの子どもたちがー流石に遅刻してきた子どもたちはいませんでしたね、事件の直後だったから。それで、その校門にいた教師に許可を得て、門をちょっと押させてくれとーちょっと触っていいかということですね、要は。警察の現場検証もあったんでしょうけどね、「まあいいよ。」っていうことで、これはもう触ってみなきゃというか、さっきから言っていた疑問ですねー「何であんなに重い物が押せるのか?」と。押したらですね、スッと滑らかに動くんですね。もう、これは驚きでしたね。片手でもスーッと動くんですね。親指ではまさか行かないだろうと思って親指で押したら動いて行きます。230kgですね。大変滑らかにレールが潤滑にですね、重い門扉を動かすことができたと。まあ考えてみれば電車の車両でもですね、ものすごく重いですけれども、こう人が押せば動いて行く。あれと同じですよね。ですから自分の経験上でですね、自分の学校の門のように錆び付いたレールの上で、押してもゴロゴロゴロと非常に鈍くしか動かないというのとは全く違うんだなと、これは大変だと思いました。要するに押した教師は「下を向いていて力を入れたんで、前の方はよく見なかった。」と言っていましたけれども、これも違ったんですね。その押した位置に立ってみると全く見えないんですよ、門を押して前を見ようとすると全く見えません。しかもですね、駅の方から入って来る生徒たちの流れというのは皆無ですね。全く見えないんですよ。門を潜って中に入る子の手とか足は見えますよ。ということは、ちょうど車を運転してですね、運悪く段ボールが台風の時か何かにフロントガラスに張り付いたりすることありますよね。一瞬ですが何も見えなくなります。その状態と一緒だなと思いました。後に、校門を閉めた先生は「ハンドマイクで呼び掛けて、その日は期末テストの初日なのに何故か流れが遅かった。『早くしろ。』というふうに呼び掛けても、どうもこうのったりしか歩いて来ない。それでカウンドダウンをして閉めたんだ。」と。今日校門前に行った方はご覧になったと思いますけれども、大きな時計がありますね。「あの時計と自分の腕時計と合わせた。」というふうに述べてますけれども。カウントダウンをして生徒の列をまさに断ち切るように押したんですね。後ほど聞くとですね、私はこれもまあ一種の常識なんですが、チャイムが鳴り終わった時に閉まったんだろうと思ったんですね。大体そういうもんじゃないですか。電車の発車のベルが鳴り終わって、ドアが閉まって、電車は出て行くわけですね。それが例えば東京駅でも新神戸の駅でも、チャイムが鳴った途端にドアが閉まったらチャイムの意味がないんじゃないかと、こう思いますけれども。それから、チャイムが鳴り始める時間が8時半だったというんですね。その時間にあの扉が閉まっています。それでチャイムが流されているけれども門が閉まっているという状態があったんだと思います。後に木村高志さんというルポライターの方が、いろいろその後の高塚高校事件を取材してある重要な謎を解いたんですね。今から13年前の今日の朝8時17分にあの駅に着くはずだった市営地下鉄の電車は約90秒遅れたそうなんですね。90秒遅れたと。しかしその90秒の遅れというのは、正確を誇る日本の鉄道システムでもですね、定時運行の範囲以内ーつまり遅れたという範囲じゃないんですね。どのくらいから言うのかわかりませんが、3分5分遅れればですね、例えば「遅れました。」というアナウンスがあるんでしょうが、そういうのはなかったということを明らかにしていました。したがってですね、あの門を押した教師のイライラしている印象と合うんですね。だってあの通常の時刻にその電車がですね、ピタッと到着していれば十分石田僚子さんは間に合っているんですね。しかも遅れたということを知らない。いつもその電車に乗って間に合っているわけですから。何か「おーい!」とか行っているな、とか思ったかもしれませんけれど。しかも流れで歩いていますから、石田僚子さんだけがこう追い越して歩いて行くわけいかないですから。そうして門は閉められたと。何故生徒たちがいつもより流れが遅かったのかというのは電車が遅れたからだったんですよ。これはもう本当に凄い悲劇ですね。電車が遅れてたから生徒たちは遅れて歩いて来ただけ。しかも遅れたことを生徒たちは知らなかったから焦りもしなかったと。こういうことだと思います。
それで私はですねーマスコミがたくさんいましたけれどもー生徒たちにとことん話を聞く主義ですから、炎天下の中でその日学校が終わるのを待って一人一人声を掛けたんですね。そうしましたらですね、極めて驚いたことにですね、彼女の前に門に入った子と彼女の挟まれたのを後ろから見ていたーその一番決定的な証言者に二人とも会えたんです。従って、そこであらゆる事実自体は確定したんです。その証言を総合しますと、彼女は立ったままで挟まれたと。確かにチョークの跡は上にありましたよ。鉄の門扉と門柱の間に頭のところを挟まれているんですね。要するに行進をしている片手が前に出た状態で挟まれ、そしてその後学校の外側に向けて倒れてしまったと。そして門が少し開いてその後何人か入ったんですね、跨いで。門がまた開いたということで。それを学校の先生は気が付かなかったと。「何てことをするんだ!」というような声が上がって、「うるさい!散れ!」というような、そういう遣り取りがあって、彼女がそこに倒れているということがわかったと。その辺の証言もその時に得ました。頭蓋骨骨折による脳挫滅ですね。ほぼ即死の状態だったそうです。
改めて今日冥福を祈りたいというふうに思いますけれども、今日も朝の追悼の儀式の時にですね、短いスピーチの中で言わせて頂いたんですけれども、この高塚高校の校門が閉まっていくプロセスの話は当時、日本全国でこの問題が議論されました。それこそ北海道から沖縄に至るまで。多分数十回近く「管理教育とは何か。」「校門圧死事件を通して何が見えてくるのか。」ということを討論会とかシンポジウムとか、あるいは考える会とかで呼ばれて話をした記憶があります。ですからこの事件は明らかにその過剰な管理主義、あるいは先ほどの野口先生のお話にもありましたけれども、細かい校則で生徒を全部縛り付けるようなやり方ということに警鐘を鳴らしたのも事実でしょうし、やはりその教員、教師の中で高塚高校のこういったことを繰り返さない為にー例えば子どもの権利条約批准ということをどう認めるのかという大きな機運をもたらしたことは間違いのないことです。したがって二度と石田僚子さんの犠牲が起きないようにという方向での議論はされたと思います。
しかしそれだけではありませんでした。既に皆さんお気付きのことと思いますけれども、「校門を閉めて何故悪いのか?」という声はその当時から少しありました。ワイドショーなどでもですね、「しかし、そのくらい熱心な先生って今いないんじゃないの?」と。「生徒が悪ければ、どんどん張り倒してピシッとやらせるぐらいの厳しさが学校には必要なんじゃないか。」と。まあ極論すればですが、「時には校門で生徒を挟み込んでしまうぐらいの厳しさが必要だ。」という声が少しだけどあったんです。その当時の日本社会に。私は、それはもっと辿れば戸塚ヨットスクールー3人死んでますよ、2人行方不明で。ーそれでもやはり「戸塚ヨットスクールは生徒を更生させているじゃないか。交通事故みたいなもんだ。」こういう議論がありましたよね。そういった議論に非常に近いものがあると感じて、とても危険だというふうに思いました。この事件で問われたのは校門を押した先生唯一人ではありませんでした。これは後に起きた友が丘の事件でもそうですけれども、とりわけこの地域の学校で起きたこの2つの事件のケースに共通しているのですが、学校管理職のあの報道陣に対する何ともいえない不気味な無表情ぶりですね。「人間の完成や、あるいは教員は特に子どもに対していろいろ語り掛けて欲しい、子どもの心を受け止めて欲しい。」と親は期待するし、子どもも求めるということもあると思いますけれども、正にその対極と言いますかね。一般の社会にだってもう少し表情があって、もう少し心があるんじゃないかと思わせるようなそういう対応が見られた。
実はですね、これはマスコミも入ったんですが全校集会があったですね。あの高塚高校事件で。「えー皆さんにお詫びします。」と。「偶然なこととはいえ『生命を大切に』ということをこれまで何度も言ってきたにもかかわらず、こういったことが起きて申し訳ない。」と校長は生徒に謝りました。そこで止めとけば良かったんですけれども、実はその後ですね、これも当時報道されたんですが、「あと10分早くみんなが学校に来ればこんなことで先生方の手を煩わせることもない。1分の時間が如何に貴重か、君たちも生活の姿勢を再度点検して欲しい。」とこう言った。そこが集中的に報道された。しかし、報道されなかったことでですね、とんでもないことを言っているんですね。どういうことを言っているかというとですね、これは校長先生というよりも、その後全体集会を締めた先生の言葉だったと記憶してますけれども、「さあ、これから期末テストだ。」と。「君たち、石田さんの分まで点を稼ごう!」って呼び掛けたんですね。どうでしょうか。学校のですね、彼女と仲良かった子どもたちもいたでしょう。名前は知らないけれども、大変深刻に受け止めている子どもたちも多かったでしょう。しかし、その彼女の分まで点を稼ごうというのは一体どういう言い様なのかと強く思いますね。
こういう事態でも尚テストというものは絶対であって止めようとしない学校というのは一体何なのかと。「効率が損なわれるから。」と。こういういろんな所で当時深夜テレビとかで議論して、僕がこういう意見を言う時には「冗談じゃない!」っていう声が現場の教師から返ってきましたよ。何があっても予定通り続けるのが学校だと言うんですね。まあこういう事件があったわけですね。テストの日程を一週間でも繰り下げてですね、喪に服するひと時があっていいんじゃないか。あるいは話し合いをしてもいいんじゃないかと、こう私は思います。しかし、今の学校ー神戸高塚高校という学校はそれを選ばなかった。しかし、そういった学校の対応に大変批判を持ち、これはおかしいなと思ってきた生徒たちが当時いたことだけは報告したいと思います。今日も連絡を事前に取っておけば良かったんですけれども、当時の生徒会長とその後会うようになります。そして、いろいろ手紙を貰ったり、何人かで東京に来て貰ったりーそういった交流も重ねました。その高塚高校の生徒から入ってきた情報はですね、今日この眼でもう一回見ましたけれども、1,300万円ですかー予算を掛けて大幅改修工事が行われることが決定をしたということです。鉄の門は壊されてですね、観音開き型の門に代わると。ーその生徒会長は怒っていましたよ、それに対して。その生徒がね。「まるで門が悪かったみたいじゃないですか。」と。「門が勝手に動き出したみたいじゃないですか。」と言ってました。つまり、確かに観音開き型で生徒が圧死するということは起こり得ませんけれども、何ともーつまりその現場の光景を全部変えるというですねー今日も花壇とかいろいろありましたけれどもーあれは事件後に作られた部分なんですけれどもーそのようにしてお金を掛けてですね、鉄の門を実際に消して事を終わりにするということが、これはとても象徴的なことだなあと思いました。
その後西宮市でですね、森安九段という将棋の著名な名人の方が家の中で亡くなっていた。それでお子さんが逮捕されたという事件があったのを覚えていらっしゃる方もいらっしゃると思います。その事件も非常に引っ掛かりましてですね、何日も掛けて西宮北口の夜9時10時ー今から14年前ですかね。深夜9時10時になっても子どもたちがですね、ワーっと出て来ました。塾からですね。何と子どもが夜中に多いのー夜中でもないですか、10時くらいですね。迎えに来るお母さんたちの顔もあってですね、そういう中に少年もいたということもわかってきましたし。そして何しろ驚きましたね、その少年たちのスケジュールを聞いて。本当に月月火水木金金の世界ですね。その森安少年自身の話ではありませんが、一緒に勉強していた少年のスケジュールを聞いてですね。とにかく朝学校に行くのに起きるのが6時台だと。そして家に帰って来るのが11時、10時半から11時。じゃあそれから風呂に入って寝るのかと言えば、「いや、それから宿題だ。」と言ってましたからね。「夜2時ぐらいに寝るんだ。」と言っていましたけれど。顔色も青くてですね、「大丈夫か?そんなに勉強ばかりして擦り切れちゃう心配はないの?」って言いましたけれど、もう本当に自分のことで精一杯でですね、その事件の少年の隣で勉強していた塾の生徒だったんですけれども、「どう思うのか?」と言ったら、全く「いや別に。」といった感じなんですね。「今、自分はとにかくハードルを越えなければいけない。受験というハードルを越えなければいけないんだ。」と語っていた。特にこの阪神間のこの地域の受験競争ー東京にも勿論ありますけれどもー集中的に塾が町に集まって大変な競争が繰り広げられている。これは非常に特徴的だなあと思いました。
そして先ほど野口さんが触れられた友が丘の事件がーこれは私が国会議員になってからですけれどもー起こりました。日本でこれほどマスコミ世論が大変集中した事件が、ほんの僅かの距離ー実は、私は今日そこの現場にも行ってきました。友が丘のですね。タンク山と呼ばれる山にも行ってきましたし、そして小学校や中学校の現場にも。あの事件があったことを思わせるものは本当に何もありませんでしたね。静かな町でしたけれどもー行ってきました。この2つの事件を経てですね、先ほどちょっと言いました「管理教育」ーこれを見直さなきゃいけないんじゃないかという事件として高塚高校の事件があったと言いましたけれども、しかし一方というところで「あのぐらい熱心にやる教師が必要だ。」とそういう声もあったということを忘れてはならないということも言いました。どうやら須磨の事件を経てですね、「子ども全体がおかしくなっている。子どもをこのまま甘やかしていてはいけない。」という声が一際強くなり、教育改革国民会議なるものがー声は小渕さんから森総理の時代に掛けてできているー「ただ今の状況というのは教育基本法が悪かったのではないか。」と。「教育基本法の中に、国を敬ったり、あるいはその目上の者を尊敬したりそういう部分を、あるいは民族的な誇りを養ったりそういうことも入れよう。」という教育基本法改正案というのをこの国会で成立させる予定だったんですけれどもーこれは与党の中の公明党の反対で一応見送られているような状況になっていますけれども。
「石田僚子さんの死を無駄にしまい。」「教育の主人公は誰なのか?子どもではないのか。」という、この国にその子どもを主人公にする教育や学校が根付いていたならば、多分今日の追悼式に在校生がですね、大変多く参加をしてその思いを確かめるという場になっていたのではないかと思いますよ。あの命の重さはーこれはどんな立場、例えば管理教育が必要だと言ってる人もですねーこれは否定しないわけですから、「だからこそ管理が必要だ。」という論も立ちますからね。そういう意味では今日大変多くの方が集まったとはいえ、今現役の子どもたち、そして今高塚高校で教鞭を執っている先生の姿はどうでした?まあいらっしゃったのかもしれませんけれども、なかなか見えてこなかったなあという気はします。ですから高塚高校の石田僚子さんの13年を振り返る時にですね、これだけ異常な事件が起きた。起きたけれども、この異常な事件すらもですね、そのぐらいのーまあ国会議員でもそういう暴言を吐いた人がいましたけれどもー「そのぐらいの元気がなきゃダメだ。」と学校の先生は。校門をバチーンと押してですね、汗だくになるぐらいの。しかし子どもは挟んじゃいけないよな、と。「じゃあセンサーを付けようか。」とかバカなことを考えるわけですよね。ミラーを付けてですね、位置を確認できるようにしようとか、まあそういうことを考える人は多いんですけれども、しかし、この事件を以ってですよ、「校門を押したというね、その遅刻はダメだという先生の規律重視、その生徒に決まりはあるんだということをわからせる、それを否定したらダメですよ。」という声は強いですよ、今の教員の世界に。「校門を押すくらいのですね、あのぐらいのパワーがなきゃダメだ。」とこう言うと拍手喝采じゃないですかね、今の学校の教員の中では。しかし、それは本当に私は間違っていると。つまり90秒電車が遅れたなんて誰も議論しないですよね。これは、実際登校してくる状況を見ればですね、90秒遅れてたなんてわかることは無理ですよ。自分が遅れて歩いていること自身も認知しないわけですからね。やっぱり遅刻というところにはみ出してですね、門によって閉ざされてカットされて。実は高塚高校には遅刻をすると、校庭何周とかスクワットとか、そういった罰ゲームと言いますかーそういったこともあったみたいです。
それで今、教育を振り返ってみた時に本当に大事だと思っているのは、もう一回「学校とは何か」。先ほどフリースクールの話もございました。私も実はあんまり自分で毎回言っているわけではないんですが、あんまり教育は受けてこなかった。自分で考えたり自分で問い掛けたりすることは多くしてきたつもりです。今の日本の子どもたちーとりわけ子どもたちの中で大変猛威を振るった「いじめ」っていうのがありますよね。これは様々な学校生活の中で事件になったりとか、あるいは事件にならないまでも大変多くの子どもたちを暗澹たる学校生活に突き落としているというのは事実ですけれども。実はこの間考えてきたんですけれども、「いじめ」というのは実は1994年の11月に大河内清輝君という少年がー愛知県ですけどもね。ーいじめで友だちにお金を取られたりして亡くなっていく事件がありました。その彼の遺した遺書などを見ると、お金を何とか返そうとした。お母さんにまとめて返そうと思って、いろいろ細かく几帳面にいくらいくらと付けてきて、遂に100万円を超えたので断念します。「もう、とても返せない。」と言って、「本当にお父さんお母さんごめんなさい。」ということで亡くなっていく─そういう事件を見ていてですね、「いじめ」の問題─これが日本中を覆っていくようになります。
その過程の中で私自身は、世田谷区─今自分自身が活動しているところですけれどもーその地域でいじめについて地域的な取り組みができないだろうかということをいろいろと考え始めました。そしてイギリスに実はチャイルドラインという24時間の電話で子どもたちの声を引き受けていくという、耳を傾けていくボランティアが千人近く登録をしていて、イギリス中の子どもたちが電話を掛けてくるという組織があります。調査をすると、困った時悩んだ時に話をするのは1位がお母さん、2位が友だち、3位がチャイルドラインなんですね。そのくらい子どもたちが頼りにしている電話組織です。例えばそういうものを日本に作れないだろうかということを模索し始め、今、全国にチャイルドラインを作ろうということで─世田谷区でも地域でやってますけれども─日本全国でそういった電話を市民が行政や学校にお願いをするのではなくて、市民自らが子どもの危機、サイン、あるいはSOSを受け止めていくという活動をしようじゃないかということを少しずつ広げています。
今日、こちらの『元気印通信』という私の国会通信を入り口の方に置いてありますので、後で見て頂きたいと思っています。「児童虐待防止法」という法律も今作っているところです。2000年に出来たんですが、西宮の森田百合さんという人が、須磨の事件が起きてCAP─子どもたちに嫌なときはNO!とキチッと言えるトレーニング─を公立学校の中にお母さんたちが入って行って授業の中で学校の先生もそこに入れながらやって行こうと。これ、日本でかなり広がっていますよね。その森田さんとその仲間の人たちーこれも本当に女性─お母さん中心の市民団体なんですけどね、「児童虐待防止法」というものをちゃんと作ろうと。それが3年前の国会で出来たんですね。精神的な暴力、肉体的な暴力、性的な暴力、そして放置するネグレクト。そこにもう一つドメスティックバイオレンス─要するに目の前でお母さんが殴られているのを怯えながら見ていること─これも一つの虐待に入るのではないかという問題提起をされて、今、超党派でですね─これは自民党の方から共産党の方まで含めて、虐待防止法を何とか良く出来ないのかと取り組んでいます。国会でも悪い法案はどんどん成立していくんですけれども、この児童虐待に対してもですね、3年前は反対の声が強かったですよ、実は。「児童虐待法」。何で反対なんだろうって不思議ですよね。実はね、子どもをね、親が引っ叩くのを親が躊躇するような家庭になったら日本の家は壊れてしまうんじゃないかという理由だったんですね。したがって当初与党の案にはですね、「何人も児童虐待をしてはならない。」の次にですね、もう一つ「児童虐待に至らない範囲において懲戒権は正当に行使されなければならない。」という、何かその「虐待に至らないようにガンガン打ってね。」みたいな。「そういう法律は作れませんね。虐待奨励法になっているんじゃないですか!」って議論したわけですが、この法律が出来てみると鰻上りなんですね、通報件数が。したがってアップアップしていますし、「この人は本当に窓口にいていいのかな?」という類の人もいますよね。ハッキリ言ってね。窓口に良い人がいればいいけれども、その良い人が限られていますからね、仕事が集中するんですよ。どんどんファイルが積み上がるでしょ、やっぱり燃え尽きてしまう。「もう私は辞めたい。」と言って、本当に熱心に取り組んでいた方が退職していったりということも起きているんですけれども。「児童虐待防止法」などで子どもをサポートし、何かあった時に子どもを受け止める。
つい最近法務省の法務総合研究所っていうシンクタンクの研究員に来て貰ってー吃驚しましたね。彼は時間を掛けて調査しているんですが、少年院の在院者の50数%が児童虐待の経験者なんですね。虐待体験がある。いじめも含めると80数%なんですね。暴力を受けながら怯えながら育ったと。そのトラウマを持ちながら、それを他者に向けて転嫁している。今、虐待をされてきた子どもたちの深いトラウマはですね、調査してみて初めてそういうことだったんだと。警察の方も来てましたけれどね、「警察もこういうこと知ってた?」って訊いたら、「いや初めてでした。」と。「こうなっているんですね。」と。今、起きている事件ありますよね─いろいろ残虐な事件。虐待をしていく親自身もまた虐待の被害者だったという、所謂その連鎖の問題も言われています。
虐待をしている側の親が変わらなければならない。しかし、児童相談所が親の面倒を見るということになるのかどうか?なかなか児童には思えないですね。大人相談所というのもないみたいだし、どうしようかという話にもなっていますし。じゃあ親がもう一回変わった時に、もう一回子どもと新しい関係を作り直して暮らし始めるにはどうしたらいいんだろうかと。これはいろんな問題を含んでいます。こういう問題は3年前よりもずっと変な暴論がない形で一緒に議論出来るようにはなってきていますけれども。全体としてはですね、やっぱり日本は荒っぽい方向に行ってるのかなという気がします。ですから今回のような、あの高塚高校の石田僚子さんが亡くなったことを絶対に忘れない、日本の教育全体の在り方に彼女の視点で、そしてその後にいろいろ犠牲になった子どもたちの視点で振り返ってみようという趣旨は大変大事だと思います。
今日は本屋さんがたくさん私の手元にもない本をですね、取り寄せて頂いたんで、(『先生、その門を閉めないでー告発•兵庫県立神戸高塚高校圧死事件』を手に取られて)これ1冊になっちゃったらしいんですけども、今日売り切れるみたいですね、どうやらね。あと1人ぐらいいらっしゃるでしょう。この13年前の9月に出た本がこの追悼の集会で売り切れるというのは、この本が問題提起の一つになったということで、まあ是非そうあって欲しいなというふうに思いますし、この『子どもが消える日』という本も手元にもないんですが、その後の高塚高校がどう変わったかということもちょっと入れてあります。
それから先ほどお話した『チャイルドラインと学校を救え』という─これは議員になってから書いた本なんですが、実はいじめの問題というのはいじめられる子の問題ではないんだということに段々気が付いたんですね。それは早期教育─この兵庫県でも盛んですけれども─早期教育にひた走る若いお母さんたちを取材していて気が付いたんですよ。若いお母さんたちが子どもを英才教育で育てる─公文が一時ですね、あの亡くなった公文徹さんという方が晩年ちょっと暴走しましてですね、「早くやった方が良い、3歳からでは遅すぎる。2歳からやれ。」そういう帯のタイトルの本を出しているんですね。赤ちゃんの時からカードをパッパッと見せてですね、3,4歳で俳句を詠み日記を付けてですね、5歳で方程式を解くと。こういう素晴らしい人材をいっぱい作るんだと言っていっぱい出来たんです、その当時。その子たちは今17,8歳になっていますけども、どうしているんでしょうかね。この早期教育にのめっちゃったお母さんたちがいて、子どもと最終的には上手くいかなくなってね。子どもがやらなくなる。つい打ってしまう。そして「やれ。」と言うと子どもは「嫌だ。」と言う。そして実際に吐いてしまったり、円形脱毛症になってしまったりとか、チックになったりとか、そういうお母さんたちと次々と会っていったんですね。やっぱり自分自身がずっと否定されてきた。何によってかと言ったら、テストトラウマですね。要するに点数が取れなかったっていうことはもの凄い屈辱になっていますね。「あの学校に行けなかった。」と、「落ちちゃった。」と。あるいは「受験すら認められなかった。」と。しかし、「常に比較される。」と。
ですから日本の教育というのはですね、褒め合う教育ではなくてですね、それこそ減点教育ですね。如何に届かなかったのかという。実は100点満点っていう評価というのは皆さん当たり前に思っていると思いますけれども、世界中100点満点じゃありませんからね、評価は。日本は100点なんですね。どんなに良くたって25,000点にはならないですよ。101点にもならないですね。100点なんです。間違わなかったということなんですね。「出来た」ということよりも「間違わなかった」。後は減らしていくんです。マイナス5とかマイナス10とか。だから100点主義っていうふうに私は言いますけれども。そしてテストで間違ったら、学年の順位が落ちたら、また自分で自分を責めます。そして親から責められる。教師からも「何やってんだ!」と言われる。そしてそういうことを繰り返すわけですね。特に小学校高学年から中学生─特に年齢早まってます。─今は小学校3年生でみんな塾に行く。そしてそういうことを繰り返すことによって、「何て自分はダメなんだろう。自分はどうしようもない人間だ。どうせ私なんか…。」と自分で自分を否定していくということ─これを「自分いじめ」と言いますが─これはいじめられている子にも起こりますけれども、実は日本のほとんどの子どもも大人も、自分で自分を如何に切り刻んで否定していくのかという、言わば呪縛の中に実は苦悩してきた日々だったのではないかと思います。ですから神戸高塚高校のこの校門が観音開き式になりましたけれども、それで良かったなんて思う人が誰もいないようにですね、やっぱり公教育や子どもの評価や親子の関係や社会の有り様自身が、やっぱりこの点数評価というものを無限大に膨らませている100点の減点主義を一度ぶっ壊してですね、それぞれの目によって実際の社会がそうであるように、杓子定規で測り切れるものではないと思います。自分で自分を捨て去る、低く評価する、自分で自分を蹴飛ばす─そういう文化を異常に圧縮していくと、世の中やっぱり戦争に傾斜して行ってしまうんですね。そういう意味で虐待の問題、いじめの問題など市民の力で行政を動かしながらですね、今日のような追悼式を経て何とか作り変えて行こうと思っていますので、是非また一緒に議論したいと思います。どうもありがとうございました。
先生、その門を閉めないで─告発•兵庫県立神戸高塚高校圧死事件
保坂展人(編), トーキング•キッズ(編) / 労働教育センター / 1990年9月1日
子どもが消える日
保坂展人(著) / 労働教育センター / 1994年1月1日
<内容>
子どもは今、安心して子どもでいられる時間を、どんどん削り落されている。子どもを消した街で、人は生きられるのか…。子どもたちの周辺で生きている人たちの声から「子どもたちの現在」をたどる。
学校を救え!
保坂展人(編) / ジャパンタイムズ出版 / 1999年7月1日
<内容>
自分をほめられない子どもたち、若者を信用できない大人たち。制度としての学校は今、子供たちが通い続けるまま、沈没しかけている。SOSを発信し続けている子どもたちの具体的な救援策を示す。
NO!で政治は変えられない:せたがやYES!で区政を変えた8年の軌跡
保坂展人(著) / ロッキング•オン / 2019年3月1日
<内容>
否定(NO)ではなく共感(YES)の政治を!「観客からプレーヤーへ!」と呼びかける90万都市世田谷で始まるムーブメント。涌井史郎、猪熊弘子、斎藤環、湯浅誠と語った「せたがやYES!」
親子が幸せになる 子どもの学び大革命
保坂展人(著), リヒテルズ直子(著), ほんの木(編集) / ほんの木 / 2018年9月2日
<内容>
これからの時代を生き抜いていく子どもたちにとって「学び」とは何か。
幼児期の子育てとあわせて、「親の意識」「親の教育観」も変わり始めています。
この本のキーワードは「幸せ」です。子どもや親も、先生も幸せになる教育、学校の姿をリヒテルズさんとの対話を重ねながら浮き彫りにしてみようと思います。(はじめにより)
相模原事件とヘイトクライム (岩波ブックレット)
保坂展人(著) / 岩波書店 / 2016年11月2日
<内容>
2016年7月に起こった相模原事件は、重度の知的障害者が襲撃され、19名が亡くなるという戦後最悪の被害を出した。怒りと悲しみが渦巻くなかで、加害者の障害者抹殺論を肯定する声も聞かれている。日本社会に蔓延する差別意識が最も残酷な形で現れたのが相模原事件だったのではないか。事件の本質を探り、障害者差別の根を断つ方途を考える。
佐世保事件からわたしたちが考えたこと:思春期をむかえる子と向きあう
岡崎勝(著), 保坂展人(著) / ジャパンマシニスト社 / 2005年3月1日
<内容>
現役小学校教員の岡崎勝と、教育ジャーナリストであり政治にも関わる保坂展人が、「ネット」「学校」「バーチャル」「心の闇」「家庭環境……」さまざまな原因説をこえて、語りあう。
年金のウソ 隠される積立金147兆円
保坂展人(著) / ポット出版 / 2004年6月4日
<内容>
積立金の約半分が、ODA、ダム、道路公団などで不良債権と化している!隠されている年金資金の流失を明らかにし、年金改革のために急ぐべきポイント8項目を提示する。
学校は変わったか こころの居場所を求めて (集英社文庫)
保坂展人(著) / 集英社 / 1994年9月20日
<内容>
校門圧死事件や棋士殺人事件…。いま学校で何が起きているのか、子どもたちはどんな問題をかかえているのか。現実の事件をルポし、学校が内包する諸問題を鋭くえぐる。
危ない公文式早期教育
保坂展人(著) / 太郎次郎社エディタス / 1994年5月1日
<内容>
2歳からの読書、優秀児を育てるために四六時中、胎児への読み聞かせ、小学生が方程式を解けると大宣伝している公文。その優秀児の10年後の追跡調査、教室の指導者たちの証言。幼児からのインプット漬けで、子どもはほんとうに賢くなるのか?
いじめの光景 (集英社文庫)
保坂展人(著) / 集英社 / 1994年1月20日
<内容>
“いじめ”なんかで死んじゃいけない!テレホンサービスに訴える子供たちや自殺した中学生の事件を追跡。悲痛な声と実態を取材し、いじめの原因と解決法を探る。
学校に行きたくない 元気印レポート2
保坂展人(著) / 集英社 / 1984年3月1日
Sponsored Link
















