門前追悼

17回目の朝

所薫子

 「法事みたいなものですね。当時すぐ近くの小学校の教師をしていました」。門前追悼をしている時に、前に立って話をされた男の人の言葉で、その場にいる幾人も、我が耳を疑うという雰囲気でした。事件当時の保護者の方が「来たいから来ています。それぞれ個人の立場で来ています」と話されました。追悼の行事が終わり、その男の人が帰られる時に「せっかくハンドマイクを用意してくださったのに使わなくてすみません。今日は学校のある日で、ちょうど期末試験です。3年生は特に受験や就職に関係します。聞こえにくいのですが、いつもできるだけ静かに集まりをしているのです」「ああ、それはいいことです」足早に去られて、話されたことについて詳しくお聞きすることができませんでした。私たちは、意識的に、組織や団体になることを避けてきました。
 登校時間に、たまたま電車が遅れ、何百人という今では信じられないような数の学生が歩道にひしめき、学校へ入ろうとして、教師の押した門扉と門柱に挟まれて、頭蓋骨が砕けて亡くなったのです。事故で亡くなったわけではありません。この事実は何十年たっても変わりません。門扉を「広島ドーム」のようにと保存を訴えましたが、事件裁判が終わるやいなや撤去、溶解。マスコミと世論は、僚子さんに「不良」というレッテルを貼りました。今年、初めて朝日新聞が「まじめだった彼女が」と掲載。ここまでくるのに、17年かかりました。(同封7/7新聞コピー参照)

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