兵庫県立神戸高塚高校校門圧死事件

今だから言えること

所薫子

 この通信の読者には、マスコミ関係やそれに属する職業の方々が多くおられる。今から4年前、石田僚子さんの門前追悼9周年の年、集まる人の少なさと取材人の少なさの中、ある人のボソリひとり言が耳に入った。「もちょっとマスコミも来んと寂しいなぁ~」これはその時集まった人たちの正直な気持ちを表していると私は思った。
 マスコミを集める為にはどうしたら良いか•••それから約1年、私の作戦、戦略が始まった。それはもう一つ私たちがあの事件の時犯した、二重三重の罪滅ぼしをどうしたらできるかということでもあった。私たちは僚子さんを殺しただけでなく、報道やその他で、家族や親族を苦しめた。けれど10年も経つ今、マスコミに詫び状や訂正文を載せろと言っても無駄な相談である。
 10周年を記念する文集を製作することにした。全国に広がる会員にFAXその他で呼びかけ、賛同頂き、投稿してもらい、多くの人の手を借りて文集が完成した。マスコミも多く取材してくれた。そこで多くの時間を割いて伝えたことは、石田僚子さんは、真面目な女子生徒であったこと、事件当日は、電車が遅れて着いたことや多くのアクシデントが重なった為であるということを話した。
 報道は選挙期間中でありながら多くの時間と紙面を割いて報道してくれた。それは事件当時のような書き方でなく、概ね事件を正しく報道するものであった。訂正文や詫び状は載らなかったが、全国の人の心に石田僚子さんという女子学生の死がどういうものであったのか伝わったのではないかと私は評価している。それから11年目も12年目もマスコミはよく伝えてくれるようになった。そして事件が起こった時の取材方法も時代と共に僅かかもしれないけれど改善されていった。
 もちろんマスコミを全面的に認めているわけでは無い。しかし13年も経ち、忘れ去られているこの殺人事件を少しでも多くの人に思い出して貰うには、マスコミの手を借りるしかない。私たちは裁判においても『教育的配慮』という一言の下に殺人さえも認めてしまったのである。そのことは何年何十年経っても消せない事実なのである。
 教育を受ける権利のあるはずの学校に入ろうとして、彼女は殺されたのである。学校での事故で亡くなる方も不幸にもある。けれど学校に入ろうとして、鉄の門扉を閉められ、それに挟まれ死亡したのは、世界広しと言えど彼女だけであろう。そこが他の事件と違うところである。車に轢かれて死んだわけではない。
 時折道端に花が供えてあることがある。誰かがここで亡くなり花を手向けたのであろう。死ということにおいて同じ命なのだけれども、僚子さんの死は、学校が教育が私が殺したことを常に胸に刻む為に、門前で今年も少しでも多くの人と追悼の時を共にしたいと願うのである。

Sponsored Link

続きを読む

Sponsored Link

Back to top button
テキストのコピーはできません。