オーストラリアから⑤ スクーリーズの季節に思う

堀蓮慈
11月下旬、ゴールドコーストは「スクーリーズ」の季節を迎える。高校を卒業した若者たちが、ハメをはずして大騒ぎするために大挙押し寄せて来るんや。未成年は酒を飲んだらアカンはずやが、おかまいなしに酔っ払って、人に卵をぶつけたりからんできたり、はては高層ホテルの窓から地上へ物を投げつけたりするやつもおる。もちろん法に触れたら逮捕されるけど、地域住民も「困ったもんや」と思いながらも、厳重に規制すべし、いう雰囲気ではない。まァ一生に一度やから大目に見てやれ、いう感じかな。
日本でもたとえばお祭りの日だけは未成年が公然と酒を飲んでも許される、いう伝統があったりしたんやないかな。ぼくは都会っ子なもんではっきり知らんけど。ただ、祭りはあくまで地域共同体のもんやから、若者が勝手に暴れるわけにはいかん。「通過儀礼」いう意味では数年前の「暴れる成人式」の方が近い現象やろけど、ああいう形の甘えが通用せえへん、とわかってからは、わざわざ会場まで行って騒ぐやつは減ったんやないかな。仲間で集まって盛り上がってる方がええわ、てなもんで。
それにしてもこっちでは、新卒の一斉採用いうような風習はないようで、学校を出て「定職」に就かんでも焦ってる様子はない。適当な仕事が見つかるまでバイトでつないでても、最低賃金がちゃんとしてるから生活には困らへん。最悪、福祉の金もらいながら職業訓練受ける手もある。オーストラリア人の日本人との大きな違いとして「貯金をしない」「平気で転職する」て言われてるけど、貯金せえへんのは何かあったら国が面倒見てくれるからやろし、転職が多いのはそれが不利やないからやろ。そういうことを考え合わせると、こっちの若者はスクーリーズとやらでことさらハメをはずさんならんほどストレスがたまるわけはないと思うけど、ま、単純にエネルギーを発散したいだけなんかもしれんな。
ひるがえって日本の若者は、労組が弱いし監督官庁が頼りないしで、労働条件が切り下げられて、「蟹工船」がブームになるような状況下や。彼らは「社会から受け入れられてる」いう実感が持てへんのやないかな。日本の「教育」の根底には「マジメに勉強せんかったら将来みじめな暮らしをせんならんぞ」という脅しがあるけども、本来社会いうんは力のある者がない者を支えることで成立してるんや。「自分以外の者には頼れん」いうんは戦場や無法地帯の価値観であって、文明社会の価値観やない。そんな考え方を吹きこむから、社会に恨みをぶつけるような犯罪が増えるんや。
社会からの恩恵を実感できて初めて人は社会に貢献しようと思う。こっちの若者は社会に甘えてるようやが、その分「世のため人のため」に役立とう、いう気持ちもあるんやないかなァ。それは決して個人主義と矛盾せんもんやと思うで。
蟹工船•党生活者 (新潮文庫)
小林多喜二(著) / 新潮社; 改版 / 1953年6月30日
<内容>
海軍の保護のもとオホーツク海で操業する蟹工船は、乗員たちに過酷な労働を強いて暴利を貪っていた。“国策”の名によってすべての人権を剥奪された未組織労働者のストライキを扱い、帝国主義日本の一断面を抉る「蟹工船」。近代的軍需工場の計画的な争議を、地下生活者としての体験を通して描いた「党生活者」。29歳の若さで虐殺された著者の、日本プロレタリア文学を代表する名作2編。
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