山の中の養豚場

公庄れい
紀州の深い山の中にポツンと一軒の大きな養豚場がある。広い運動場で豚がのんびり寝転がっている。ここで豚を売ってくれるのかしらと思いながら何度かその傍の道を通り過ぎていた。
去年秋、思い切ってそこへ行ってみることにして谷川にかかった小さな橋を渡ると、下の谷にはアマゴが黒いほど群れている。養豚場の庭に車を乗りいれるとたくさんの犬が車をとり囲んで吠えたてるので怖くて車から降りられないでいると、建物の中から初老の小父さんが出てきて「この犬らはみな猟犬じゃさけ人にはかかって行かんよ、気遣いないよ」というが吠える犬を叱ってくれるでもない。
恐るおそる降りて豚肉を頒けてもらえないかと言うと、「うちは豚は売らんのじゃ、そやけどもう一ヶ月ほどしたら豚をつぶすさけあんたとこへも遣るわよう」という。買わせて戴きますと言うと、いや、うちはみんなにただで食べて貰とんじゃからあんたとこへも貰てもらうよと言う。そしてまあ、中へ入って見たってくれよと言いながらどんどん豚舎の奥の方へ入っていく。私もついて入っていくと強烈な匂いに全身を包まれる。分厚いコンクリートのし切りの中には数頭ずつの豚が入れられており、私が近づくと怖がってか一か所に固まってしまう。ピンクをおびた白い肌に小さなボタンのような真っ黒な目が可愛いくて豚をペットにする人がいるのが頷ける愛らしさである。
小父さんは、豚を潰したら連絡するさけ電話番号書いといてくれよと言ってくれるので、お宅の番号も教えてというと病院の勘定書きのような書類を、これもう要らんさけと言って渡してくれた。それでこの人は中西さんという人だとわかったのであるが、初対面の私にただで肉をくれるという話は本当なのかと少々キツネにつままれたような感じで帰ってきた。
それからひと月ほどして田舎にいる夫から神戸の私に宅急便が届いた。中西さんに戴いた豚肉でロースハムを作ったからとういうのである。フライパンで軽く焼いて食べて私は驚いた。生まれて初めて肉をおいしいと思ったのである。むかーし見た映画「怒りの葡萄」の一場面で、老いた労働者が「あー死ぬまでにもう一度豚の脂身が食いたいなー」という。あの労働者の言葉の意味が何十年ぶりかに私にも理解できたのである。無農薬で作った野菜を畑から採ってきてすぐ料理したあの美味しさ、それは食べたことの無い人にどんなに説明しても理解できない。肉にもそれと同じ美味しさがあると七十六才にして理解できたのである。
後日中西さんにおいしい豚の秘密を伺うと「うちで潰す豚は特別に薩摩黒豚と茶色の豚をかけあわせて肉用につくっとんのじゃよ。餌も百姓の人らから貰ろた野菜くずをぎょうさん遣ってなあ」となんとも贅沢な豚だったのである。中西さんにはエゾシカやヒグマの肉を戴くという不景気な話ばかりの昨今でおとぎ話のような経験をさせていただいた。
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