校門改修公金支出賠償請求訴訟
公判傍聴メモ No.2 こんなことで審理はつくされるのか

公庄直子
私がしげしげと裁判所に通うようになったのは、母のに次いで、これが二つ目の裁判である。当然、母の裁判と比較してしまうが、一番の違いは裁判官の態度だろう。
母の裁判は、神戸市会での議員による名誉毀損が焦点になっている。被告は神戸市である。つまりこの高塚の裁判と同じく、行政相手の民事裁判だが、母のほうの裁判官はこちらが申請した証人も殆ど喚問して、時間を充分とって尋問を行った。昨年の4月から裁判官が変わったのだが、同じようにこちらの言うこともよく聞いて裁判を進めているようだ。
ところが高塚の裁判官は、時間がない、時間がないとオームのように繰り返すばかりで、やっと実現したこの間の曽我さんの陳述の時でも、何とか早く終わらせようと時間ばかり気にして、ろくすっぽ陳述は聞いていないようにみえた。傍聴しているこっちは、こんなことで充分な審理がつくされるのかと、大いに疑問に感じてしまう。
担当する件数が多すぎて、一つ一つの裁判に時間を割けないのは事実だろうが、裁判を起こした者にとっては、そんなこと関係が無い。裁判が趣味、という人はいないだろう。お金もかかるし、時間もかかる。それ以前に、裁判を起こさざるを得ないところまで追い詰められてしまう精神的な苦痛がある。みんな、「もう自分には裁判という方法しか残されていない」というような切羽詰まった気持ちで法廷に臨んでいると思う。そういう原告たちにとっては、どんなに審理を尽くしても、『充分すぎる』ということはないだろう。
この高塚の裁判も、あと何年かかるかわからないが、最後まで見守っていきたいと思っている。
Sponsored Link





