文化•生活•芸術

イギリス人とビールとサッカー

弁護士 峯本耕治

 いよいよ、サッカーのワールドカップが始まりました。深夜に帰宅しても、ついついビデオを見てしまい、日本でやっているにもかかわらず、やはり寝不足になってしまいます。「サッカーを見る暇があったら、この原稿、早く出してください」と、所さんに怒られそうですが、どうか許してください。
 昨晩はイングランドとアルゼンチンの因縁の対戦でした。ワールドカップをめぐっての両国の因縁は色々あるのですが、鮮明に思い出させるのは、4年前のフランスワールドカップでのベッカム退場です。ベッカムはイングランドの現在のキャプテンで、サッカーの技術•能力だけでなく、ファッションリーダーとしても有名な世界的な大スターです。日本でも、今回のワールドカップで人気が沸騰しています。このベッカムが、1998年のフランスワールドカップで、アルゼンチンのシメオネの反則に対して、馬鹿げた報復攻撃をしてしまい、一発退場処分となったのです。ベッカムの退場によって、イングランドは、それまでの攻勢とうって変わった苦しい試合を強いられ、最終的にPK戦で負けてしまったのです。このワールドカップでイングランドは期待されながら、ベスト16で終わりました。私は、フランスワールドカップ当時、イギリス留学中で、この試合もロンドンの自宅で見ていました。イギリス人になりきって観戦していたので、ベッカムが退場処分となり、イングランドが負けた時は、かなりのショックでした。私でも、相当なショックだったわけですから、イギリス人(イングランド人)のショックは、それはそれは大変なものでした。それから数日間は、ロンドンの街が喪に服しているような感じでした。当然のことながら、戦犯となったベッカムへの世論•マスコミの攻撃は厳しいものでした。
 その後、4年間をかけてベッカムは復活し、キャプテンとして今回のワールドカップに返り咲いたわけですが、昨日の試合でキャプテンとしてペナルティーキックを蹴り、それを決め、アルゼンチンの攻勢に耐えて勝利した瞬間の喜びと思いは、格別のものがあっただろうと、私でも想像できます。昨日の勝利の瞬間に、ロンドンのパブ(日本でいえば、お洒落な一杯飲み屋です)で、大きく張られたスクリーンのテレビ中継を見ながら、ビールを片手に飛び上がり、踊りまくっているイングランドの人たちの姿が想像できて、私もその瞬間にイギリスに居たかったと、心底思いました。
 イギリス人は本当にスポーツ好きの国民ですが、その中でも、サッカー(イギリスではフットボールと言います)の存在は特別です。数十年前までは、階級制的な考え方の名残りもあって、「サッカーは労働者階級(ワーキングクラス)の人たちのスポーツ」という見方が強かったようですが、現在では、完全に国民スポーツとなっています。週末に、地域のクラブチームで自らサッカーを楽しみ、そして、フットボールスタジアムに出かけ、また、パブでビールを飲みながら、世界中の名プレーヤーが集まるトップリーグ(プレミアリーグといいます)のチームを応援するというのが、多くのイギリス人の生活に欠かすことができない風景となっています。
 シュートの度に、「ウォー」という声が地響きのように湧きあがり、シュートが決まったときには拍手と歓声に変わり、失敗すると落胆の声がこだまし、盛り上がってくると、どこからともなく自然に歌の大合唱が始まる雰囲気は、本当に楽しいものです。
  応援しているチームへの思い入れも相当なものです。私がイギリスで初めてサッカーを見に行こうとしたときのことですが、アーセナルとチェルシーというロンドンのチーム同士の試合を見たいと思い、チケットを買いに行きました。販売員に「どちらの応援だ」と聞かれて「アーセナル」と答えると「売り切れ」といわれましたので、それなら「チェルシー側のチケットをくれ」というと、「それはできない」と断られました。チェルシー側にアーセナルのサポーターが座ると一歩間違うと喧嘩になってしまうので、売ってくれないのです。私にとってはどちらでも良かったのですが、いくら交渉しても駄目でした。イギリス人にとっては、贔屓チームのないサッカー観戦は存在しないのかも知れません。ちなみに、アーセナルは、先日の日本代表対ベルギー戦で大活躍した稲本が現在所属しているチームです。
 悪名高きイギリスのフーリガンは、もちろんこういう思い入れの強さの延長線上にあるのでしょうが、ただ、彼らは特別な存在で、多少のもめ事等は別にして、今日本にきている普通のサポーターがフーリガンになることはありません。今回のワールドカップでは、フーリガンはかなり徹底して締め出されており、しかも、フーリガンは日本にくるだけのお金がありません。イングランドサポーターは、ビールとサッカーが大好きな、本当に楽しい人たちです。いつも酔っ払っているような感じで、お喋り好きで、しかも、体も声もアクションもデカイので、日本人から見ると、みんなフーリガン予備軍に見えるのかも知れませんが、とにかく、過剰反応にならないことを祈っています。
 イギリス人が、地域のクラブチームで、また、パブやスタジアムで、ビールとサッカー(スポーツ)を楽しんでいる姿を思い出すと、何かに追われているような自分の生活が少し悲しくなります。
 「仕事を適当に切り上げて、家族と共に、ビールとスポーツを楽しむ、それでいいじゃないか」という素朴さが、なんともなつかしく、そして、羨ましく思い出されます。


子ども虐待と貧困―「忘れられた子ども」のいない社会をめざして子ども虐待と貧困―「忘れられた子ども」のいない社会をめざして

清水克之(著), 佐藤拓代(著), 峯本耕治(著), 村井美紀(著), 山野良一(著), 松本伊智朗(編集) / 明石書店 / 2010年2月5日
<内容>
子ども虐待と貧困との関係を乳幼児期から青年期までの子どものライフステージに沿って明らかにする。執筆者のまなざしは、親の生活困難に向けられ、子どもと家族の社会的援助の必要性を説き、温かい。貴重なデータも多数掲載している。


子ども虐待 介入と支援のはざまで: 「ケアする社会」の構築に向けて子ども虐待 介入と支援のはざまで: 「ケアする社会」の構築に向けて

小林美智子(著), 松本伊智朗(著) / 明石書店 / 2007年12月6日
<内容>
公権力の介入を求めるまで深刻化した子ども虐待。だが介入は虐待防止の切り札といえるのか。2005年の日本子ども虐待防止学会シンポジウムの記録を基に編まれた本書は、日英の経験をふまえ、虐待を防ぐために本当に必要な「ケアする社会」を構想する。


スクールソーシャルワークの可能性: 学校と福祉の協働•大阪からの発信スクールソーシャルワークの可能性: 学校と福祉の協働•大阪からの発信

山野則子(編集), 峯本耕治(編集) / ミネルヴァ書房 / 2007年8月1日
<内容>
はじまったばかりのスクールソーシャルワーカーの活躍を描く。スクールカウンセラーや養護教諭とともに様々な問題に悩む親子に、社会的問題を含めて解決にあたる事例を紹介します。今までにない児童生徒へのアプローチに非常な関心がもたれています。


子どもを虐待から守る制度と介入手法―イギリス児童虐待防止制度から見た日本の課題子どもを虐待から守る制度と介入手法―イギリス児童虐待防止制度から見た日本の課題

峯本耕治(編集) / 明石書店 / 2001年12月12日
<内容>
先進的なシステムをもつイギリスの児童虐待防止制度の詳細と、実際の運用状況を具体的に紹介する。ライン等も示し、問題点にも触れる。



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