エッセイ

ブッダ最後の旅

公庄れい

中村元訳 岩波文庫より抜粋

 大勢の修行僧をともなって旅に出たブッダは、ペールヴァ村で雨期の定住(雨安居)に入られた。その時に、恐ろしい痛みが生じ、死ぬほどの激痛が起った。しかし尊師は、心に念じて、よく気をつけて、悩まされることなく、苦痛を耐え忍んだ。(中略)
 パーヴデーの鍛冶工の子であるチュンダのマンゴーの林にとどまった。チュンダは、美味なる噛む食物•柔らかい食物と多くのきのこ料理を用意しててブッダの一行を招待した。尊師は、「チュンダよ、あなたの用意したきのこ料理をわたしにください。また用意された他の噛む食物•柔らかい食物を修行僧らにあげてください」と言われた。(中略)
 「チュンダよ、残ったきのこ料理は穴に埋めなさい。世の中で、修行完成者(如来)のほかには、それを食して完全に消化し得る人を、見いだしません」と告げられた。(中略)
 さて尊師が鍛冶工の子チュンダの食物を食べられたとき、烈しい病が起こり、赤い血が迸 り出る、死に至らんとする烈しい苦痛が生じた。(中略)
 ブッダは、水の清く快く澄んでいるカクツター河におもむいたが、師は体が全く疲れ切って、チュンダカという名の修行僧に告げた。─
 「わがために(衣を)四つに折って敷けよ。わたしは横になりたい」と。
 かれチュンダカは、修行をつんだ人(=釈尊)にうながされて、たちどころに(外衣を)四つに折って敷いた。
 師は全く疲れ切ったすがたで、臥した。
 そこで苛師は若き人アーナンダに告げられた。
「誰かが、鍛冶工の子チェンダに後悔の念を起こさせるかもしれない、─(チュンダよ。修行完成車はお前の差し上げた最後のお供養の食物を食べてお亡くなりになったのだから、お前には御利益がなく、お前には功徳がない)と言って。
 アーナンダよ、チュンダの後悔の念は、このように言ってとり除かれねばならぬ。修行完成者が供養の食物を食べて無上の完全なさとりを達成したのと、および、煩悩の残りのないニルヴァーナの境地に入られたのである。この二つの供養の食物は、他の供養の食物よりもはるかにすぐれた大いなる果報があり、はるかにすぐれた大いなる功徳がある。と」(中略)
 そこに赴いて、アーナンダに告げて言った。
「さあ、アーナンダよ。わたしのために、二本並んだ沙羅双樹の間に、頭を北に向けて床を用意してくれ。アーナンダよ。わたしは疲れた。横になりたい」と。
「かしこまりました」と、尊師に答えて、アーナンダはサーラの双樹の間に、頭を北に向けて床を敷いた。そこで尊師は右脇を下につけて、足の上に足を重ね、獅子座をしつらえて、正しく念い、正しくこころととどめていた。
 さて、そのとき沙羅双樹が、時ならぬのに花が咲き、満開となった。それらの花は、修行完成者に供養するために、修行完成者の体にふりかかり、降り注ぎ、降り注いだ。また天のマンダーラヴァ華は虚空から降って来て、修行完成者に供養するために修行完成者の体にふりかかり、降り注ぎ、降り注いだ。天の楽器は、修行完成者に供養するために、虚空に奏でられた。天の合唱は、虚空に起こった。(後略)
 ⭐︎ニルヴァーナ 涅槃、煩悩の火を吹き消した状態。いかなる迷いも無くなった理想の境地を言う。
 3•11後、撒き散らされた多くの言葉。特に菅総理が脱原発を表明してからの、政策には触れず、総理の気質を論う政界やマスコミの真実味のない言葉の氾濫は、被災して困窮の極にある人達をどんなに傷つけていることだろう。
 二千年以上前にブッダの説法を聞き、その死に直面した人達の残した言葉。真実のみを語る繰り返しの多い簡素な言葉に心が安らぐ。ブッダの臨終に際して、降り注ぎ、降り注ぐ天界の華と音楽を、天寿を全うできなかった多くの魂に、特に小さな人達に捧げたい。

2011.8/31

ブッダ最後の旅: 大パリニッバーナ経 (岩波文庫)ブッダ最後の旅: 大パリニッバーナ経 (岩波文庫)

中村元(翻訳) / 岩波書店 / 1980年6月16日
<内容>
原始仏典の中にはブッダの生涯はほとんど記されていない。だが彼の死は、信徒にとって永久に忘れえぬ出来事だった。パーリ語本『大パリニッバーナ経』の中に、ブッダの死とその前後の事件が詠歎をこめて語られている。本書はこのパーリ語本を底本とし、サンスクリット本、漢訳本を参照して邦訳。巻末に周到詳細な注を付した。/p>


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