31回目の朝
所 薫子
西神中央駅に着き、横断歩道を渡るとまず大きく成長した合歓木の花が目に入りました。今までは、30分から1時間早く追悼式準備のために出かけていたので学生に会うことはありませんでしたが、当時より15分登校時間が遅くなった現在、学生さんたちがゆっくり歩いていました。歩道に拡がった学生をよけて前には出にくい状態でした。30年近く前には、この歩道に現在の倍くらいの学生がひしめき合い、ぞろぞろと学生の列が続いていました。
校門前に着くと校門に向かって右側の方に既に大きな横断幕が張られていて、十数名の人たちと報道陣の姿が目に入りました。違和感がありました。私たちは長年、門扉に向かって右側は、門扉を押した側、左側を石田僚子さん側として追悼式を開催してきました。押した側にもカーネーションを供えはしましたが、あくまでも門扉を押した細井教諭側、その尻尾切りをした教育委員側、はたまたそれを見て見ぬふりをした私たち側。向かって左側は、殺された石田僚子さん側として、花束や僚子さんの肖像画などを飾って、それに向かって頭を垂れてきました。
庭に咲いたブルースター、バラ、ハーブなどの小さな花束をいつもの場所に置き、敷物を敷いて、その上に大竹奈緒子さん作『7月6日の朝』の絵本を立て(僚子さん、今年も何とか来ることができたよ)と心の中で語りかけました。横断幕のグループの方が、スピーカーを使おうとされたので、その近くへ行き小さな声で「今日は普通の日で、学生さんが来られ試験の日です。スピーカーは止めてください」とだけお願いしました。いつもの年のように静かに8時30分、黙祷と数名の方が語られました。横断幕は、歩道を遮るように張られていて、歩道を通られる方の邪魔になり、通られる方に謝り道を空ける場面もありました。
追悼式終了後、片づけをし『7月6日の朝』を校長先生へ届けようと学生の靴箱のある方から校舎内に初めて上がりました。廊下が続くばかりで校長室が分りませんでした。用務員室の札が目に入ったので、その扉をノックし用務員さんに教えていただきました。廊下に校長先生が立っておられました。その時、校舎の構造が判りました。校門と思っていた方は通用門と言われ、西側に校門、玄関、事務室、校長室がありました。校長先生に案内されて、校長室隣の会議室のような広い部屋、大きな机、沢山椅子が並べられた部屋で、既に高橋智子さんから届けられていた『石田僚子さんと生きた30年』と絵本が置かれたテーブルで、少しの間お話をすることができました。新しく赴任された先生でした。「私にも同じように子どもがいますので、事件当時、教師になったばかりの頃でしたがショックでした」というようなことを話されました。冷たいお茶をいただきました。玄関から出て、通用門の方へ行くまで見送って下さいました。学生一人一人に対して、このような気持ちで接していれば僚子さんのような事件は起こらなかったと思いました。
現在、兵庫県は4回目?の「緊急事態宣言」が出され2学期が始められるのか、修学旅行、運動会等々、先が見えない状態です。連日、猛暑、熱中症の危険が言われています。長雨で甲子園は、始まって以来の延期が続いています。各地で大きな災害が続き、コロナ感染者も自宅療養を強いられ、生命の危機にさらされながらもオリンピック、パラリンピックと国民の莫大な税金は湯水のように使われ、それでも国民は黙っています。
2021.8.27
解説:東京オリンピックの総費用は、チケット代の返金などの追加費用2000億円以上も含めて4兆円近くになります。
兵庫県の緊急事態宣言は、現在4回目です。再開したり延長したりと繰り返されるものですから、私もわからなくなってきました。[S]





