社会

危険は通学路にあるのではない!

弁護士 峯本耕治

 完全に時期に遅れましたが、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。年の初めなので何か明るいテーマはないかと思いながら、どうしても思いつかず、今も何について書こうかと悩んでいますが、とりあえず書き始めます。
 昨年も、寝屋川の小学校教師殺害事件に始まり、子どもの重大事件が続きましたが、同時に大きな社会不安を巻き起こしたのが、幼児•小学生の誘拐殺害事件や拉致監禁事件など、子どもが被害者となる事件が相次いだことです。最後には、京都宇治の進学塾で同志社大生の塾講師が女子小学生を殺害するという、これまた理解困難な事件が発生しました。もともとは、池田小学校事件から始まっているのですが、これらの事件を受けて、登下校時をはじめとして、子どもの安全をどうやって守るかが大きな社会的課題となっています。前号で「子どもの遊び」の大切さについて書きましたが、これでは、ますます子どもは外で遊べなくなっていきます。本当に寂しいことです。
 こういう事件が続くと子どもの安全を物理的にどう確保するかという点のみに目がいきがちで(実際にそうなってしまっていますが)、見落としてはならない、もう一つの側面があります。
 それは、これらの事件のほとんどにおいて、子どもに対する性的欲望が動機•原因となっている点です。2004年末に発生した奈良女児誘拐殺害事件は明らかに強制わいせつを目的とするものでした。それ以外にも、身代金等を目的とするものではなく、性的行為を目的とすると思われる事件が急増しています。このように、子ども•乳幼児等に性的欲望を持ち、性的行為の対象とする異常性愛者を、欧米ではペドファイルと呼んでいますが、このペドファイルが近年増えてきているような気がしてなりません。
 京都宇治の進学塾の事件でも、犯人である塾講師が被害児童に対し恋愛感情を抱きストーカー的な行為を行っていたと疑わせる情報が、ちらほら報道されています。私自身は、その可能性が高いと思っています。そうでなければ、なかなか説明がつきにくい事件だからです。
 また、教師によるスクールセクハラ事件や、児童福祉施設等における性的虐待事件も、このようなペドファイルと呼ばれる性的傾向をもった人によることが少なくありません。子どもを守るべき存在である教師や福祉関係者が子どもを性的欲望の対象とするということは絶対に許せないことですが、少し見方を変えると、そのような性的傾向をもった人にとって、子どもに日常的に接することができる教師や児童福祉の仕事は最も恵まれた仕事であるという、しんどい現実があるのです。
 イギリス留学中に、ペドファイルが、メールやネット上で、全国の児童福祉施設や保育所等における職員募集に関する情報を交換しあっているという事件が報道されていて、たいへん驚いたことがありましたが、少し視点を変えると全く不思議なことではありません。
 今、日本はどんどんロリコン社会化していっています。モーニング娘に象徴されるように、アイドル年齢はどんどん低くなり、小学生をグラビアアイドルとして性的商品の対象とすることが普通に行われるようになってきています。アダルトビデオやインターネット上のアダルトサイトでは中高生をモデルとしたものが全く珍しくありません。
 つい先日、1987年の宮崎勤事件(東京•埼玉連続幼女誘拐殺害事件)の最高裁判決が出ましたが、翌日(1月18日)の朝日新聞朝刊で作家の高村薫さんが、次のような意見を述べておられました。
「(事件発生当時は、社会性の欠如等を示すものとして否定的に捉えられていた)『おたく』はその後、むしろ時代の先端として社会に広く受け入れられ、おおぴらっに消費されている。小学生の少女アイドルは珍しくなくなり、秋葉原では少女たちを人形のように着飾らせた撮影会に、白昼、青年たちが群がる。また、インターネットの爆発的な普及によって、性的な映像情報は日常生活にあふれだしている。かつて宮崎被告がこっそり楽しんでいた世界が、今では日常の隣にある。これが事件から17年の間に、私たちが作り上げてきた社会だ。この間、どれだけの事件が起こり、どれだけの子どもや女性が犠牲になってきたか。危険は通学路にあるのではない。子どもを大人の性的欲望の対象にしないという良識を捨て去った。何でもありの社会自体が危険なのだと思う。
 私も全く同感です。家族のしんどさからくる愛着障害、友人関係等のしんどさからくる対人関係障害の増加等も重なり合い、今の日本社会は、未熟なペドファイルをどんどん生み出しているような気がしてなりません。
 少なくとも、子どもを性的関心の対象とすることに対し、これほど無神経な国は、日本以外に存在しないと言っても良いと思います。何かしないといけないと思うのですが、消費経済の中に完全に組み込まれてしまった現在では、本当に難しい状況にあります。
 結局、また、しんどい話でスタートしてしまいましたが、だからこそ余計に、「適度ないいかげんさ」をモットーに、今年も元気で頑張りたいと思います。


子ども虐待と貧困―「忘れられた子ども」のいない社会をめざして子ども虐待と貧困―「忘れられた子ども」のいない社会をめざして

清水克之(著), 佐藤拓代(著), 峯本耕治(著), 村井美紀(著), 山野良一(著), 松本伊智朗(編集) / 明石書店 / 2010年2月5日
<内容>
子ども虐待と貧困との関係を乳幼児期から青年期までの子どものライフステージに沿って明らかにする。執筆者のまなざしは、親の生活困難に向けられ、子どもと家族の社会的援助の必要性を説き、温かい。貴重なデータも多数掲載している。


子ども虐待 介入と支援のはざまで: 「ケアする社会」の構築に向けて子ども虐待 介入と支援のはざまで: 「ケアする社会」の構築に向けて

小林美智子(著), 松本伊智朗(著) / 明石書店 / 2007年12月6日
<内容>
公権力の介入を求めるまで深刻化した子ども虐待。だが介入は虐待防止の切り札といえるのか。2005年の日本子ども虐待防止学会シンポジウムの記録を基に編まれた本書は、日英の経験をふまえ、虐待を防ぐために本当に必要な「ケアする社会」を構想する。


スクールソーシャルワークの可能性: 学校と福祉の協働•大阪からの発信スクールソーシャルワークの可能性: 学校と福祉の協働•大阪からの発信

山野則子(編集), 峯本耕治(編集) / ミネルヴァ書房 / 2007年8月1日
<内容>
はじまったばかりのスクールソーシャルワーカーの活躍を描く。スクールカウンセラーや養護教諭とともに様々な問題に悩む親子に、社会的問題を含めて解決にあたる事例を紹介します。今までにない児童生徒へのアプローチに非常な関心がもたれています。


子どもを虐待から守る制度と介入手法―イギリス児童虐待防止制度から見た日本の課題子どもを虐待から守る制度と介入手法―イギリス児童虐待防止制度から見た日本の課題

峯本耕治(編集) / 明石書店 / 2001年12月12日
<内容>
先進的なシステムをもつイギリスの児童虐待防止制度の詳細と、実際の運用状況を具体的に紹介する。ライン等も示し、問題点にも触れる。



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