人間は檻の中で

公庄れい
私は六十才を機に高野山奥の花園村久木に住むことにした。初めて大根を猿に食べられたのは5年ほど前のことだった。夫が気を入れて作ったからか見事な出来で、太く柔らかく甘く大根ってこんなにおいしかったかしらと改めて大地の恵みに感謝した。
十二月下旬、干していた百本あまりを沢庵として漬けこみようやく今年の仕事を終えて神戸で冬を過すために、野菜を始めとした食品をぎっしりと車に積みこんで準備をした。畑に残った大根には落ち葉をたっぷり大根が見えなくなるほど被せて凍らないようにした。
持ち帰った野菜が底をつく二月はじめ、神戸で買う野菜の不味さに辟易して寒い久木へ帰って来た。畑はすっぽりと雪に覆われ大根が何処にあるのか分からない。三日ほどして雪が消えたのであの美味しい大根を楽しみに畑に行ったが、大根は無い。きれいさっぱり葉のきれっぱしすらも見当たらない。
車道に面したこの畑、誰かが盗ったのだろうか。まさかこんな所で、どこの家でも持て余すほどの大根を作っているのに、でも動物が食べたのなら大根かせめて葉っぱのきれはしでも残っていそうなものだにと合点の行かぬまま畑を後にしたが、たちまち食べる大根がない。家への途中、知人宅へより、事情を話すと、「そりゃ─猿じゃよ、うちの裏の畑の大根もやられて、腹の立つことに喰いさしを側の木にひっかけたりしとんのやで、二十匹ぐらいの群できてあっとゆう間に喰てしまうんじょょ、うちは引いとったのがあるさけ持って行ったらええわ」と数本の大根をくれた。
猿は味を知っている。うちの大根はやっぱり美味しいんだなと変なところで自慢をしてみても始まらない。
以前から猪や鹿の害はあったので畑は柵で囲ってはいたが猿には何の役にもたたない。が、猿が来るのは一月、山にいよいよ食べ物が無くなる頃からだからそれまでに大根を引いてしまえばいいと思っていた。が次の年、これから大根が太りだし味も良くなって行くかという時期、まだ細い十一月の終り端っこの方の大根がやられた。その頃にはあちこちの畑に現れ、数も増えて三十匹くらいの群になっている。
泣く泣く引いた大根は例年の半分にもならず味も乗っていない。仕方なしに網で畑を囲ってしまい人間は檻の中ということになってしまったのだが、昨年は柚子が一つも成らなかった。冬から春にかけて猿が葉を食べてしまうので実をつけることが出来ないのである。
鹿の食害もすさまじく、お茶の木には葉が一枚もない。それでも5月になると新芽を出すが、それは人間が摘み取り、お茶はまた芽を出す。しかし辛うじて生きているだけで木を大きくする力は無い。狼は死に絶え、猛禽類や狐も減り、人間は野生動物の肉を食べなくなった。檻の中で働く過疎地の高齢者も間もなく死に絶えることだろう。
Sponsored Link





