石田僚子さん追悼10周年記念文集

「校門圧死事件」から『親の教育権』を求めて

 「風の子事件の勝訴」(1999年9月30日)内申書の全面公開を勝ち取った「西宮裁判全面勝訴」(1999年11月12日)。そして、和解なども含めると裁判所の対応が変わって原告の主張を認めるようになって来ている。
 この背景は何だろうか。ずばり、親たちが市民として成長しているということだろう。戦後50年を経過してやっと、親が権利の主体として自覚できるだけの市民社会になってきたということなのだ。民法820条の義務を果たすことから脱却し、憲法や子どもの権利条約を自らの権利を主張するための理論的根拠にしつつあると感じられる。もちろん、子どもが介在しなければ大人たちのこの自立はありえなかったかもしれない。私を含めた親たちが、子どもたちの悲鳴を、自立できないできた自らの成長の転機にしようとしたと考えられる。親になって、権利の主体として生きなければならないことを学びつつあり、成長しつつあるという段階に今大人たちはいるのかもしれない。日本の市民社会のさらなる成熟は子どもの権利条約の実践と親たちの真摯な対応によるだろうと私は考えている。
 やっと成熟しつつある市民社会の風を大いに吹かすために、子どもも、教師も、親も、自らの権利の確立のために主張しあい、新しい規範を作りだす勇気を持たなければならないだろう。もちろん、教育に関する決定の会議などに、子どもも親も参加の機会を与えられることは当然の前提にしていはもちろんである。「親の教育権」は、このような社会のなかで有効に機能するに違いない。微力ながら私も「親の教育権」が当たり前になるようになるまで、教育に係わっていきたいと考えている。
 石田僚子さん、私たちを励ましてください。ご冥福を祈ります。合掌。

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