石田僚子さん追悼30周年記念文集

石田僚子さん追悼30周年

編集•写真担当 所薫子

 開発された街に新しく設立された兵庫県立高塚高校で、この事件は起こりました。石田僚子さんのご家族もこの新しい街に新しい家を買って、夢と希望にあふれて引っ越して来られ、入学して三か月後の7月6日、期末試験の初日の朝でした。その日、僚子さんが乗った市営地下鉄の電車は、3分遅れて西神中央駅に着きました。誰も遅れていることに気づいていません。もちろんアナウンスもありません。延着証明書も出ていません。僚子さんは、友人と一緒に学校へ向かいました。幹線道路は車がひっきりなしに走っています。信号が変わっても、横断歩道の前は学生であふれています。限られた時間で、渡れる人数は限られています。「モダンタイムス」の映画のワンシーンの柵の扉を開けられ一斉に羊が群れになって出て行くように学生たちが横断歩道を渡ります。植えられたばかりの並木はまだ小さく、歩道は学生であふれ、走ることはできません。ぞろぞろと前に連なって歩くだけです。
 遅刻常習犯の学生は、門扉が強く閉められるのを知っていました。ペナルティーで、運動場を何周も走らせられることも。職員会議では、何度も鞄やスカートが挟まるくらい危険な校門指導だとの声がありました。でもその事件は起こったのです。
 事件後、すぐにその場の血は、洗い流されました。通常の事件現場では、あり得ないようなことが、学生に怖い思いをさせてはいけないという配慮で、証拠隠滅されました。

 自分の子どもが、孫が、「行って来ます」と言って学校へ向かい、学校へ入ろうとして教師に殺されることが起こるなんて、想像できるでしょうか。二度と命は戻ることはありません。生きていたら今は45歳です。子を持つ親になっているかもしれません。キャリアウーマンで、バリバリ働いているかもしれません。誰が何の権利があって、しかも教育を受ける、その場所で殺されるなんてことが許されていいのでしょうか。
 石田僚子さんのご家族は、僚子さんを失っただけでなく、心ないバッシングや報道の執拗な取材攻撃に遭い、また不良少女とまったく言われも無い中傷を浴びせられました。真面目過ぎたために校門に飛び込んで、殺されました。新しい家に希望や夢を膨らませて引っ越しして来られたのに、そこを去らねばならなかったのでした。
 こんなこと二度と起こってはなりませんが今、この事件が起こったとしたら世の中の対応は違っていたでしょう。報道関係の対応も違っていたでしょう。なのに30年前には、遅刻する奴が悪いと言われ、学校の判断は正しいとされたのです。そして、次から次に校長も職員も変わり、そのことを知る人は誰もいなくなり事件は、闇から闇へと葬り去られてしまいました。
 事件後、校門指導や高さの高いなどは姿を消しましたが、30年前には、酷い校則や体罰が横行していました。また戸塚ヨットスクールやコンテナ死事件など、厳しい教育の末に殺された悲しい事件が頻繁に起こっていました。
 公立中学校では、男子は丸刈りが強制され、女子も細かい校則がありました。髪を染めたりパーマ禁止、眉にかからない前髪、長い場合はその場で鋏で切る等々。スカートの長さに関しても床から何センチと決められ毎月、検査が行われている学校もありました。もともと赤毛の人は黒く染めなくてはならないとか、縮れ毛の人はストレートパーマをかけなくてはならないとか、毎朝、校門指導で呼び止められ、説明をしなくてはならないとか、縮れ毛や赤毛の証明書迄あったとか。今ならさしずめセクハラ、パワハラ行為で教育委員会が3名並んで頭を下げて記者会見しなければならないようなことが、常識としてまかり通っていました。

 石田僚子さんは、真面目過ぎる少女でした。いつもは、早い電車で通っていた学校を友人と待ち合わせ、電車が3分遅れて到着しました。当時、消防訓練で、消防署から無事避難の保証もでき無いと言われるくらい倍の学生がひしめき合っていました。かなり広い歩道でも身動きも取れないほど学生がゾロゾロ歩いて鉄の扉で、圧殺されたのです。刑事裁判が起こり、その正門はトタンで覆われて、学生は裁判が終わる日まで、小さな通用門を通らせられました。民事裁判も起こりました。30年持つとされた立派な鉄の門扉は、県民の財産、税金で造られたにも関わらず、刑事裁判が終わった日に、即刻、撤去、クレーン車で釣り上げられ、トラックに積まれ、まるで市中引き廻しの刑に処され、死刑、溶解させられました。裁判も校長の裁量の範囲と棄却されました。新しい正門周辺も県民の財産を使って、レンガの敷石やその他掘り返し、破壊して、新たに何千万もかけて造り直されました。まるで門扉が殺人犯のような一連の処し方に、誰も立ち向かうことはできず、お上のすることに間違いはないと、昔も今も少しも変わらない世の中、ハンセン病を始め、水俣病、公害病、原発事故、戦争、挙げればきりがありません。
 失われた命は二度と戻ってくることは、ありません。のこされた親、姉弟、祖父母、叔父叔母、親族、まるで違う人生を歩まされます。心安らかに、そして二度と繰り返されないようにと祈るばかりです。

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