政治

イギリスの選挙風景

 イギリスでは、建前だけでなく、実際に、選挙は「政党」によって、そして、「政策」によって争われています。
 少し極端なケースかも知れませんが、そのことが良くわかるエピソードを紹介したいと思います。
 私が住んでいたロンドン北部の町(フィンチレー)はサッチャー元首相の地盤で、これまで保守党が圧倒的に強く、戦後一度も労働党が勝ったことがない選挙区でした。
 ところが、前回の総選挙では、戦後初めて、労働党候補者が勝ってしまいました。その候補者自身が自分が勝つとは全く思っていなかったのですから、まさに「勝ってしまった」のです。
 候補者は初出馬の大学教授で、まさか自分が当選するとは思っていなかったため、当選後の記者会見でも、「自分は政治のことは全く知らないし、大学の仕事が忙しいのに困ったことになった」などと、ふざけたようなコメントをしていました。
 本人自身が多数のマスコミの前で平気でそんなコメントをしていました。そのコメントに対して、特に批判が出るということもありませんでした。
 日本では考えにくいことですが、国民は候補者個人に投票したのではなく、「政党」に投票し、政党が掲げる「政策・公約」に投票をしているから、それでも良いのです。
 イギリスでは、日本のように顔写真入りの選挙ポスターは一度も見ませんでした。街頭の選挙演説も聞いたことがありません。ですから、私は、自分の住んでいる選挙区の候補者が誰であるか全く知りませんでした(もちろん、外国人である私には選挙権はありませんが)。おそらく、その候補者に投票した市民も、ほとんどの人が、初出馬のその候補者がどんな人かは知らなかったのではないかと思います。
 一般論として言えば、イギリスの選挙で重みを持つのは、候補者個人ではなく(もちろん、個人の人気が選挙結果に影響することはいうまでもありませんが)、あくまでも「政党」であり、「政策」なのです。
 ましてや、日本のように、候補者が自分の選挙区のためにどういう利益をもたらしてくれるか、どういう公共事業を持ってきてくれるかなどということは、投票の基準となる余地はありません。
 このような選挙によって政権を獲得した政党は、自らが掲げた政策を確実に実行しなければなりません。それができなければ、次の選挙で責任が問われることになります。また、実行した政策の結果が悪かった場合も、選挙で国民の審判を受けることになります。
 イギリスで制度改革が次々に行われていく背景には、このような選挙があり、選挙によって支えられた政治の力があるのだとつくづく実感させられました。不条理・不合理だらけでも改革できない日本とは本当に大きな差です。
 数百年の歴史を持つイギリスの民主主義と日本の民主主義の成熟度の違いということになるのかもしれませんが、日本の選挙がイギリスの選挙のようになるのには、やはり数百年かかるのでしょうか。
 またまた愚痴になってしまいましたが、それでも、選挙には行きましょう。

前のページ 1 2
続きを読む

Sponsored Link

Back to top button
テキストのコピーはできません。