不登校

閉ざされた保健室

森池 豊武

 子どもが学校へ行かなくなってから3年になる。代わりに、私は中学校のPTAに関わり、足しげく学校へ行くようになった。はじめは、自分の子が行きたくないと感じる学校の現実に触れ、子どもの心に寄り添いたいと思ったからである。やがて、あまりにも酷い学校の実体を目の当たりにし、最低限度これ以上悪化させないこと、出来れば何らかの改善の糸口を見つけることができればと考えるようになった。
 3学年で20クラスもある所謂大規模校で、教員はクラブにも授業にも熱心で朝から夜中遅く(時には10時、11時)まで学校漬けの生活を送り、子どもには、膨大なプリントと課題が与えられる。国語科では、正月も休みも関係なく毎日、3年間、漢字200字(20字X10回)を書くことが義務づけられており、病気になってもその間の分は後で提出しなければならない。各クラス・各班ごとに競争させ、生徒たち同士で監視させていた。およそ教育とは言えないこのようなやり方に、父母の間から疑問の声が上がったが、教師側はほんの少し手直ししただけで、未だにそのやり方を続けている。
 教師や子どもは、授業と行事とクラブに手一杯で、慌ただしく時間が過ぎていく。給食の時間には給食指導、休み時間には校内巡視と監視の目が行き届き、問題児の後には教師が付いて回る。そうしなければ、学校の秩序は崩壊してしまうという強迫観念に支配された空間は息が詰まりそうだ。このような緊張関係や権力的視点から逃れられる唯一の場所は保健室である。幸い、養護の先生は、このような状況に理解がある人で、様々なトラブルに会いながらも、「保健室を閉めることだけは絶対したくない」との信念で孤軍奮闘されてきた。しかし、昨年5月頃、保健室にくる子どもが急激に増え、1日40名〜50名になることもあり、一人では対応できず、他の教師の応援を求めたところ、「教室に帰るように」という指導に反発した子どもが暴れたという事件をきっかけに保健室は閉鎖された。
 行き場を失った彼等は、廊下や校内をうろつき、教師がその後を追いかけるのが常態化していくこととなった。この事態を何とか解決したいと、学校と父母の間で、様々な機会を通じて話し合いが持たれた。「何でも受け入れられない。怪我や病気に対する救急処置を行うのが保健室の本来の機能なので、そこで線引きをすべきだ。」「心の悩みを抱え、ケアーが必要だからこそ子どもは保健室に来る。保健室登校の拡大状況に対応した機能こそが求められている。」「学校の問題状況を有りのままに子どもや親に伝え、共に考えていかなければならない。キレイ事や建前レベルで片づけようとしても無理である。」「子どもの心のレベルとのギャップが有りすぎる。」…
 しかし、学校が取った対応は、生徒の心に寄り添うものでも、父母の願いに答えるものでもなかった。養護教員だけでなく、全教員で子どもに関わるとの建前で、保健室の戸は閉ざしたまま、保健室に行きたい生徒は職員室前で(この学校では、生徒は職員室に入ってはならないことになっている。)教師に事情を述べ、必要と思われる者だけが保健室に行くことを許可される。教師によるスクリーニング(篩い)を経なければ、開かない保健室のドアーの前に振るい落とされた子どもの悲しみがうず高く積み上がっていく。開け続ければ、学校の秩序が崩壊していくとの不信感と共に。日本の中学校教育現場の実体は、多かれ少なかれ同型ではないだろうか。「2時間でも、3時間でも開けておきたい。」と願う養護の先生を支え続ける働きかけを止める訳にはいかない。

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