校門改修公金支出賠償請求訴訟

監獄のような教育にSTOPを

 故•林竹二氏は、著書の中で「教育行政は教育に仕えるべきもので、教育を支配すべきものではない」(『運命としての学校』p334)と述べている。学校が、今、「水俣の海」になってしまった根本的原因は、教育のことについてはなにも真実を知らないが、教育に関する法律に詳しい行政屋が、「教育」を己に仕えさせているところにある。
 一人一人の子供達が、自らの内に秘めている宝に気付き、自己を確立していくことを助けることが教育だとすれば、教育とはまさに芸術行為である。
 芸術を法律でしばって何になろう。ナンセンスの極みである。ところが、そのナンセンスを全国の中でも我先にとやっているのが、我が兵庫である。
 高塚高校の偽まん的門扉改修工事を問うのは、以上の実態を満天下に公にするためである。
 我々の子どもたちが、教育監獄に毎日通っている。
 この無念のゆえに、この250kgの鉄の扉とコンクリートにはさまれて絶命した15才の少女の涙ゆえに、我々は、この裁判に参加している。
 しかしながら、以下のごとく、去年、弁護士に支払う一ヶ月5万円の事務経費も50万円が滞納中です。どうか今年の予算が満たされるようご事情の許す範囲でのご負担をお願いしたい。よろしく。

運命としての学校運命としての学校

林竹二(著) / 筑摩書房 / 1983年9月1日



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